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2011年1月16日のブックマーク (2件)

  • 拡大する中国の海洋防衛ライン : 海国防衛ジャーナル

    1月14日、「中国空母の父」と呼ばれた劉華清提督が亡くなりました。劉提督といえば空母をイメージしますが、彼の中国の海洋戦略における功績はそれだけにとどまりません。近年注目されるようになった「接近阻止/領域拒否(Anti-Access/Area-Denial:A2AD)」戦略も、劉提督の指揮の下に生まれた構想です。 中国の概念的な海洋防衛ラインは今ではグアムやサイパンまで届くような壮大な規模となっています。とはいえ、もちろん初めからそうであったわけではありません。中国の国力の増大ともに戦略的辺彊(参照)が広がり、それに伴って海洋の防衛ラインも拡大してきました。稿では、そうした中国の海洋防衛ラインの推移を海軍の成長と絡めて見てみたいと思います。 毛沢東の「海の長城」 以前のエントリでも紹介しましたが、中国の歴代王朝では海を守るという概念が希薄でした。1996〜2003年に中国の海軍司令員を務

    拡大する中国の海洋防衛ライン : 海国防衛ジャーナル
  • 『戦国の城:美濃松尾山城』中井均(歴史群像No.105)を読んで 「秀元様、なんか関ヶ原で合戦になったみたいですが」「は? なんで? 大垣は?」 | Drupal.cre.jp

    私の関ヶ原の合戦の一番古い記憶は、小学校のときに読んだ「まんが日歴史」でお坊さんのような大谷吉継が「ふ、小早川の裏切りは予定のうちよ」とうそぶいている場面である。 その裏切り者とされる小早川秀秋がいたのが、松尾山だ。関ヶ原を見下ろす山の上である。 その後、関ヶ原を題材にした小説漫画映画ゲームやらを通して、あれこれ妄想を膨らませてきた私の中で、空白というか、意味不明のまま保留の棚に置いておいたのが、実は小早川の裏切りではなく、毛利秀元の不可解な動きである。 もちろん、東軍と内通していた吉川広家が秀元を押さえたなどの理由はあるだろうが、それにしても、妙な位置で遊軍になっている。 いったいなんで、彼らはこんなところに取り残されたのだろう? その長年の疑問であるが、中井均さんの『戦国の城:美濃松尾山城』の記事を読みと図版をながめていて、なるほど、と得心した。 南宮山の陣城は、大垣