今週聞かされた朝スピーチがキモかった。 一般社員のスピーチで、 ・(社内の)○○氏はできる男だと思う。 ・仕事では数千万円の案件をまとめ、プライベートでは△△さんのハートを射止め(社内結婚) ・できる男は公私ともできるものなのだな。 というやつ。 このキモい感覚はどのくらい共有できるもんですかね。ちなみにおれは男性。 キモいのは、「△△さんのハートを射止めた」ことを「できる」と公の場で表現する感覚だ。 すごい女性をモノ扱いしてるよなあと感じる。 女性は、ランク付けされた上でより上位のものを能力とか才覚で獲得するものだという前提に立っているんだな。 それとも、そんなつもりはない発言だったかね? 言語化されてなくても、そのレベルにさえ達しないくらいに内面化されてる前提なんだ。でなきゃ出ない言葉だ。 これは認めよう。 おれは女性をランク付けするしできるだけ上位の女性を自力で勝ち取りたいと思ってる
2014-10-06 サークラに「引っかかっちゃう」男の条件 サークルクラッシャー関連 サークラに引っかかる男性とは、どういう人か。 Q、大学のときオタサーにいましたが、ただ声がでかいだけのクズが一番かわいい女の子を速攻で手に入れてて萎えました。一方で絵なりなんなりの才能があるやつはやはりオタク女と簡単にくっつける印象を受けました。オタク趣味の才能でも、他人からの視線が気にならないメンタルもない場合、どう立ち回るのが恋愛としては正解なんでしょうか?(原文ママ) こういう人です。 この質問はわたしのask.fm(匿名で質問ができるサービス) に寄せられたものだ。 決してネタではなく、本心からの質問なのだと信じて、なぜ彼がモテないのか、そして目の前にサークラが現れたら一瞬で引っかかる理由を解説したい。 1、基本「上げ膳据え膳、希望」 >ただ声がでかいだけのクズが一番かわいい女の子を速攻で手に入
わたしは男性に好意を持たれたことがない。 子供の頃から大人に至るまで、好きな人に好きになってもらうことも、好きでない人に好かれることも全くなく、ベタ凪のような青春時代を過ごしてきた。 恋は叶わず、好きな人は自分でない人を好きで、誰かに好きだと言ってもらうこともなかった。 二十代後半でようやく恋人が出来たが、そんな青春時代を経てきたためかたまたま偶然奇跡的に奇特な人が現れたというだけで自分はもともとは男性に相手にされるはずのない人間だという思いが拭えない。 こっぴどくふられたという経験もなければ、痴漢やセクハラなどにあったこともない。本来それらは喜ぶべきことだが、男性にとことん空気のように思われるタイプなのだなと思うばかりだ。 同じグループに属するはずの友人たちに次々恋人ができていくのを祝福しながら、彼女たちと自分を隔てるものがなんなのか悩み続けた。 世の恋愛事情からひたすらに村八分にされて
30代半ばの男。 数ヶ月前に仕事の関係で出会った同年代の女性と交際中。 この歳になって初めて本気で女性に惚れた。これが恋愛のチカラか。そりゃ皆夢中になるわな。 これまで付き合った女性のことも好きだと思っていたが、どこか冷めていたというか、比較的冷静だった。今思うと。 同時に今、とても苦しい。 彼女は元カレとのセックス話をする。それがツライ。 聞いて辛くなった話ワースト3を挙げてみる。 1位:処女を失ったときの話 2位:一回り上の年代のおっさんに遊ばれ毎日やっていた話 3位:元カレと何度か生でやったときの話 本人に悪気はないのはわかっているし、年齢からすれば普通の経験だろう。 それに自分でも驚きなのが、以前付き合っていた彼女から元カレの話を聞いても何とも思わなかったのに、今の彼女に対しては辛く感じるという点。 前の彼女も好きだった。 じゃあ今の彼女との違いは何か? それは 「結婚相手と見なし
ある女性のことが気になっている。彼女はとても聡明で健やかな人だ。知り合ったのは1年ほど前で、何度か食事をしたり美術館に行ったりした。が、お互い忙しかったりしてここ半年ほどはあまり連絡も取ってない。だから彼女とは何か特別な関係ではなくただの友達だ。 しかし、ここ最近、よく彼女のことを考えている。だんだんその頻度は上がってきて、近頃は彼女のことを思い浮かべない日はない。そういう風に思うようになったのは女の子と新しく知り合ったりした時に彼女と比べてしまったからだと思う。彼女はとても賢い女性で、だから話もとてもおもしろくて中身が濃い。それと比べると、合コンとかで出会った女の子との会話なんて水で薄めた発泡酒みたいに味気ない。そういうことが重なる度に、彼女の存在が貴重であることを思い知らされてきたんだと思う。 そんなわけで最近何かにつけて彼女のことを考えるんだが、これって恋?かというとそれがどうなんだ
ある小説を読んでいたら、こんなセリフがあった。 「僕が恋愛に縁がないのは、踏み込むのが苦手だからです。ぼんやりしてるし、どうも自分からいくのは苦手で。 かといて、向こうから告白されるほどモテないし。ほんと、駄目っすよね」 まさに自分がこういう人間すぎて思わず吹いてしまった。 ちょっと「いいな」、と思った人がいても、今まで自分から行動を起こしたことがない。 このあたり、本当にダメだな、と思うところなんだけど、それまで築いた関係を失う怖さが大きすぎて。 それを変えることができずに今まで生きてきた。 もともと恋愛に積極的でないというのもある。 一人だけに多くの時間を割くのって何か窮屈だなと思ったり、 そもそも、人の深いところまで踏み込んで排除されるのがとてつもなく怖かったり。 思春期に恋愛でない場所でそういう体験をしたことで、人に対する根本的な諦めが自分の根本にあって。 でも人を信じたい、人に信
ある人を好きになった。ものすごく好きになった。 でもさまざまな事情で、この恋はどうにもならなかったので、 この恋はなんとかあきらめるようにした。 三ヶ月くらいは、どうしても彼を忘れられずに身悶えしたけど、 時が経って、それほどの苦しさは少しづつ無くなってきた。 せっかく好きになった人を、理由があるとはいえ あきらめなければならなかったのは、とても悲しかった。 でもそれは仕方の無いこと。 それに、自分はもともと意志が弱いほうなので、「あきらめる」という消極的方法ではあるけれども、 あの途方も無い苦しさを乗り越えられたのは、なんとなく自分自身に打ち勝った気がしたようでうれしかった。 そして時が経ち、今。 今でもまだ、あの人の事を考えることがある。 普通に仕事してる合間とか、メシ食ってる時とか、 ベッドに入って寝る前とか、日常のふとしたときに、 急にちらりとあの人の顔を思い出してしまう。 今では
「好きな人ができてしまった。」を読んで不思議な気持ちになった。 ここ数日になって、何故突然、個人的な内容をブログに書き出し始めたのか、 実は自分でもよく分からなくなっていた。 しかし、この増田のダイヤリーを読んで、ようやく合点がいった。 僕は怒っていたのだ。 裏切りを。 僕は悲しかったんだ。 心変わりを。 僕は戸惑っていたんだ。 状況の変化を。 僕は愛していたんだ。 それでもなお。 僕はこの増田と全く反対の立場でフラれた。 別れる一ヶ月前に結婚話を彼女からもちかけてきたのは、 別の人を好きなった気持ちを抑えるためだったと今は邪推している。 遠距離だったが、毎日連絡を欠かすことがなかった。 お互いにとって、これまでに恋愛で悩んできたことが馬鹿馬鹿しくなるくらい相性がよかった。 全てが完璧に思えた。 ある日、僕は会社で精神的に辛い出来事があった。 しかし、いつもそうしているように、そういうとき
先日の「当たり前のことが案外できていないと思った日常の1コマ」 で当初予定していたのが上のタイトル。 仄めかしの記事なのに意外にも反応があったので、たまには背景の種明かしもしてみようと思う。 先日の記事を会話部分だけにした理由は次の3つ 1.セールス論から恋愛論に発展させると無為な反発を生む可能性がある 2.扇情的なタイトルと内容になり釣り記事と誤解される可能性がある 3.(ブログを書くスタンスとして)閲覧者が自由に感想を持てるように説明を排除したい 3については次の記事で言及するとして、ここでは本来書きたかった主旨である恋愛論について補足を書く。 まず、あの会話は実話である。くだんの記事では僕ばかりが語っているが、普段は僕がほぼ聞き役に徹している。 一般的に女性は話を聞いてもらいたいそうなので、異性にはなるべく親身になって耳を傾けるように気を付けている。 実は人の話を聞くのは好きだし、買
「恋愛」と書いて「かけっこ」と読む。 自分がいて相手がいる。あなたは逃げるほうか、追いかけるほうか。元々足が早い人がいれば、遅い人がいる。かけっこが得意な人がいれば、得意でない人がいる。かけっこが好きな人がいれば、嫌いな人もいる。 あなたは追いつけるか。時には触れることさえできないこともある。僕の足が遅かったのか、あなたの足が速いのか。いや、それ以前にちゃんと「かけっこ」しようって誘ってみたかい?かけっこ自体してもらえなかったのでないかい? 鬼は交代。逃げる番と追いかける番。相手の心はわからない。 がんばって走って転んでしまうときもある。ひざを擦りむいたり、地面に手を付いて手が汚れてしまったり、もしかしたら歯が折れちゃうほど激しくころんでしまったり。別にがんばってたわけじゃないのに、上手く身体が動かず、足が絡んで転んでしまったり。 傷つく。だが傷つくほどに人は美しくなっていく。美といふもの
『今、何してる?』(角田光代著・朝日文庫)より。 (「錯覚 Illusion」というタイトルのエッセイの一部です) 【私のどこが好き? と恋人なり夫なりにたずねたとき、どう答えられるのがうれしいか、というテーマで友達と話したことがある。どう、というのはつまり、内面をほめられたほうがうれしいか、それとも外見か、ということである。 驚いたことに、外見をほめられたほうがうれしいにきまっている、と大半の女友達が答えた。顔が好み、脚が好き、目がぐっとくる、肩のラインがたまらない、だから好きだ、と続けてほしいらしい。なかには、尻のかたちがいいと今の恋人が言ってくれて、そのことに心底感動した、という人までいて、これはもう、驚きを通りこして不可解である。 私は絶対的に内面派である。ココロがきれいだの性質がやさしいだのと言われたいのである。しかし私は内面をほめられたことがただの一度もない。手がいい、頭のかた
フェロモンボディのボディソープを買いました。 スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...
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