大向一輝『ウェブがわかる本』「集合知」という概念を知ったのは、2005年から仕事をするようになった渋沢栄一記念財団でのことでした。その頃財団では業務に関係する勉強会が頻繁に行なわれていて、確か2006年頃開催された、渋沢敬三に関する研究がテーマの勉強会の時でした。 渋沢敬三は渋沢栄一の孫で、祖父の後を継いで第一国立銀行の仕事に就きますが、元々学究肌で民俗学関係の多くの人材を育てた事でも知られています。その関心の範囲は広く多岐にわたり、漁業史や民俗学関連の膨大な標本を集めていました。2万点におよぶ民具コレクションは敬三の没後に曲折を経て大阪千里の国立民族学博物館に収蔵され、コレクションの一つの核になりました。そうした敬三の多彩な足跡を研究していたアメリカの研究者が、勉強会で研究手法について話をしてくれました。その中に、「集合知」に関するものがあったのです。 その時は「集合知」あるいは「col
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