一方、同じ食品メーカーでも、商品数の少ないところが多くあります。商品数は企業間で結構な違いがありそうだということが、検証の事前から予想されました。 実際、約1万社について商品数を調べると、商品数トップの企業は6703個の商品をもっています(表)。最下位企業の商品は二個なので、ここに大きな格差があるのは一目瞭然です。丁寧にみると、上位10社で全商品の9%、上位100社で全商品の57%を占めていることがわかります。つまり、過半の商品が全体の1%の企業に集中するという格差が存在するのです。
一方、同じ食品メーカーでも、商品数の少ないところが多くあります。商品数は企業間で結構な違いがありそうだということが、検証の事前から予想されました。 実際、約1万社について商品数を調べると、商品数トップの企業は6703個の商品をもっています(表)。最下位企業の商品は二個なので、ここに大きな格差があるのは一目瞭然です。丁寧にみると、上位10社で全商品の9%、上位100社で全商品の57%を占めていることがわかります。つまり、過半の商品が全体の1%の企業に集中するという格差が存在するのです。
【独占インタビュー】「世界的知性」スティーブン・ピンカーが語った「『表現の自由』は、なぜこれほど重要なのか?」 具体的には、アメリカの警察による黒人容疑者の射殺問題の原因としてレターの執筆者などが支持していた「アメリカの社会には制度的なレイシズムが存在しており、警官による黒人の射殺問題も制度的なレイシズムのあらわれである」という主張にピンカーが否定的であること、その代わりに「そもそもアメリカの警官は他の国の警官に比べて銃を発砲する機会が多すぎることが原因であり、黒人が白人に比べて多く射殺されているのは単に黒人の方が白人よりも警察に通報される機会が多くて警察が犯罪現場で遭遇する可能性が高いからである」という主張をピンカーが肯定していたことが、レターのなかで批判されていた 。 ピンカー 昨今のアメリカのアカデミアに所属する人々…とく若い人々…の知的な水準が下がっていることを示す、由々しき事態で
「麻布競馬場」とは何者か?「中流の悲しみ小説」で大バズりの作家が「中流、東京、地方都市」への思いを語った 麻布 焦りに駆られて、彼らに追いつくために色々やってみました。友達とビジネスコンテストに出たり、大手広告代理店でインターンをやってみたり。でも、そのいずれでも、自分が一流にはなれないことがすぐにわかりました。僕は東京で何に関しても一番にはなれないんだなって、惨めな気持ちになりました。 そういう絶望を経て、それでもせめて平均以上の生活を営もうと、東京で就職をして日々なんとか生きている……というのが3つ目のフェーズです。 ——なるほど、そういう原体験があるから、挫折した人間を物語のなかで描くとき、東京と地方の格差の問題が切実なものとして現れてくるわけですね。 麻布 そうですね。もちろん東京のなかにも格差はあるはずですし、世のなかの不幸を東京か地方か、という対立軸だけで語られるわけではないん
「麻布競馬場」とは何者か?「中流の悲しみ小説」で大バズりの作家が「中流、東京、地方都市」への思いを語った ——麻布さんの小説では、人生の勝ち負けがはっきりしていますよね。そういった勝ち組と負け組の格差についてはどう思いますか? 麻布 僕が好きなノンフィクションに野地秩嘉さんの『キャンティ物語』という作品があります。昭和の六本木を舞台に、三島由紀夫、黒澤明、小澤征爾、加賀まりこ、ビートたけし、坂本龍一、松任谷由実といった文化人たちが集まった伝説のレストラン「キャンティ」を描いた本です。六本木の不思議な引力を感じさせる物語になっているんです。 この時代から、六本木で遊ぶ華やかな人は二種類に分かれています。一つは、そもそも裕福な家庭で育った、いわゆる「親ガチャ」で当たりを引いた人たち。もう一つは、家庭環境は恵まれなくとも自らの才能と努力で成り上がった人たちです。 僕は、特に後者のような人たちが華
暴力で暴力を上塗りするこの世界に、中村哲医師が命懸けで示した「別の道」 映画「荒野に希望の灯をともす」を観てほしい 人々は医療以前の問題で苦しんでいた しかし中村の訴えも虚しく、アメリカのブッシュ大統領は、飢餓にあえぐ世界の最貧国に爆弾の雨を降らせることを選んだ。日本の小泉純一郎首相は、ブッシュの無意味で残虐な暴力を、いち早く支持した。 思えば、谷津賢二はこの3年前(1998年)に、すでに中村に出会っていた。そしてその後21年間、中村が凶弾に倒れるまで、彼の活動を記録し続けていたのだ。 その間、谷津はアフガニスタンに25回入国し、現地滞在は450日を超え、1000時間に及ぶ映像素材を撮影したという。「荒野に希望の灯をともす」は、中村が人生をかけて打ち込んだ活動を、谷津が人生をかけて記録し構築した、珠玉の映画なのである。 本作の前半、アフガニスタンで診療活動をする中村は、ひとつの重大な事実に
暴力で暴力を上塗りするこの世界に、中村哲医師が命懸けで示した「別の道」 映画「荒野に希望の灯をともす」を観てほしい 一点の曇りもない言葉に受けた衝撃 いま、世界の人々に最も観てほしい映画は何かーー。 そう問われたら、僕はたぶん、劇場版「荒野に希望の灯をともす」(2022年7月23日よりポレポレ東中野にてロードショー)だと答えるだろう。日本電波ニュース社の谷津賢二監督が、パキスタンやアフガニスタンでの中村哲医師の活動を、21年間にわたって撮影した映像素材を再編集したドキュメンタリー映画である。 僕が中村の存在を知ったのは、2001年9月11日、あの忌まわしい事件がアメリカで起きてまもなくのことだった。 当時、僕はニューヨークに住んでいた。2棟の超高層ビルが轟音とともに崩れ落ちてから、ニューヨークの街は一瞬のうちに星条旗で埋め尽くされた。 同胞を殺されたアメリカ人の悲しみは、やがて怒りと憎しみ
歴史書を読み解くと見えてくる、上総広常が粛清された「本当の理由」 歴史家が見る『鎌倉殿の13人』第14・15話 上総広常の粛清 第15話では、上総広常の粛清が描かれた。『吾妻鏡』寿永三年正月十七日条によれば、広常は謀反の疑いで誅殺(ちゅうさつ)されたが、死後に源頼朝の大願成就を祈る広常の願文が発見され、広常の真意を知った頼朝は後悔したという。 一方、慈円の歴史書『愚管抄』では異なる説明がなされている。後年、上洛した源頼朝は、後白河法皇に対して上総広常誅殺の理由を語ったという。広常が「朝廷など気にせず、坂東で自由にやればいいではないですか」と頼朝に不満を述べたため、朝廷への謀反を疑い誅殺した、というのだ。頼朝が朝廷への忠義をアピールするために潤色したとも考えられるので文字通りに受け取るのは危険だが、頼朝政権内部で路線対立があった蓋然性は高い。 上総広常の粛清は寿永2年12月に行われた(『吾妻
『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で、日本中世史が専門の歴史学者・呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビューする本企画。今回は、先週放送の第14話「都の義仲」、昨日放送の第15話「足固めの儀式」をまとめて解説。さまざまな史料や学説を参照しつつ、源氏の棟梁の座をめぐる源頼朝と木曽義仲の対立や、上総広常が粛清された真の理由に迫ります。 『鎌倉殿の13人』の第14話では木曽義仲の入京、第15話では上総広常の粛清が描かれた。権力者となった源頼朝の冷酷さが露わになっていき、その謀略に戦慄する北条義時。歴史学の観点から第14・15話のポイントを解説する。 源頼朝と木曽義仲の対立 『鎌倉殿の13人』第14話のナレーションで説明されたように、木曽義仲は北陸道で平家の大軍を撃破し、京に向かって進軍する。平家は安徳天皇と三種の神器を伴って都落ちし、入れ替わりに木曽義仲・源行家らが
北条時政・義時はどこへ逃げたか ところで、石橋山合戦に敗れた北条時政・義時はどこに逃げたのか。この点に関して『吾妻鏡』の記述は錯綜しており、不自然な点が多い。『吾妻鏡』治承四年八月二十五日条によると、北条時政は武田信義らの甲斐源氏に援軍を要請するため、甲斐国に向かった。しかし頼朝の安否が定かでない状況では援軍要請に応じないだろうと思い直し、土肥方面に引き返して頼朝の後を追った。そして同月二十七日条によると、北条時政・義時らは土肥郷の岩浦で船に乗り、安房国を目指した。両条を整合的に理解しようとすると、時政は頼朝と合流した上で頼朝の使者として甲斐に向かうつもりだったが、合流できずに義時と共に安房に渡海した、ということになる。 とはいえ、最初は西の甲斐に向かおうとして、考えを変えて東の安房に進むという時政の行動はいささか不可解である。敗走の最中で頭が混乱していたとも考えられるが、『吾妻鏡』の曲筆
『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で日本中世史が専門の歴史学者の呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビューする本企画。第3回目となる今回は、声優の木村昴さんが以仁王(もちひとおう)役で出演して話題となった昨日放送の第3話「挙兵は慎重に」について、最新の学説を参照しつつ、専門家の視点から見たみどころを解説してもらいました。 第1回:いよいよ放送開始!『鎌倉殿の13人』第1話を歴史学者はどう観たか 第2回:仲が悪いけど実は〇〇〇!?伊東祐親と工藤祐経の複雑すぎる関係 『鎌倉殿の13人』の第3話では、本作の主人公である北条義時が周到な分析によって挙兵成功の見通しを語り、源頼朝が決断する場面が活写された。当時18歳の義時が参謀的な役割を果たしたという設定にはいささか疑問も残るが、様々な情報が錯綜し頼朝や北条一族が迷い悩む展開には引き付けられた。歴史学の観点から、第3
誰にとって/どんな目的で「役に立つ」のか ――研究動機が「役に立つから」だけの人も「おもしろいから」だけの人もおそらく少なく、実際には複合的でしょうが、知的好奇心を無視して「役に立つ」だけに傾斜するのはたしかに非人間的な気がします。では、こと昨今のように強く実利重視を求められるようになった背景は? 隠岐 第二次大戦後に「GDP」という概念ができ、定量的に国の経済が把握できるようになったがゆえに「自然科学の促進も経済成長に貢献する」という捉え方が強くなりました。特に東西冷戦終結後の90年代以降は、国家間競争の評価軸が軍事競争なども含めた多面的なものから経済一本にほぼ集約されました。市場を支配するスタンダードな技術・製品・サービスを作ることが国の政策レベルで志向され、科学研究でも応用的なもの、すぐに特許が取れて儲かるものに傾斜していった。 ――いま「役に立つ」と言うと経済的な価値を生むことが真
長州藩士として出てきたのは井上聞多と伊藤俊輔だけで、これは彼らが明治10年代の政局の中心に位置し、渋沢栄一と明治以降に深く関係するからだろう。 新選組は登場する。土方歳三が渋沢栄一(篤太夫)と話をするシーン(20話)はとても素敵だった。近藤勇はまだ出てこずに、土方だけが登場するのは、おそらく戊辰の戦いのおりに渋沢喜作(成一郎)と深く関わるからだろう。 登場する人物が整理されており、とてもすっきりしている。 徳川政権の中枢にいる一橋家にとって、敵はただひとつ「薩摩」だけであった。 この構図がとてもわかりやすい。 リアルにそうだったのだとおもわれる。 まだ楽しみには続く 慶応三年の末になって、もし薩摩の動きを封じ込めることが出来たら、「大政を奉還」しても、慶喜を中心とした別の政体が樹立できたはずである。 でも薩摩にとっても「敵は慶喜」であった。 慶喜に狙いを定め、慶喜の正義は封じ込められてしま
アマゾンで起こりはじめている問題点 前出の20代男性は言う。 「僕の場合、楽天モバイルと楽天プレミアムカード決済で入るSPUをベースにしていて、アプリ利用(プラス0.5倍)などは無理して使っていません。 日頃から必要なものをウィッシュリストに入れておいて、ポイントが5倍になる0と5のつく日に機械的に注文しています。楽天スーパーセールの時も同様です。それだけで、かなりのポイントがたまります。 そのほか、楽天がスポンサーを務めているスポーツチーム(東北楽天ゴールデンイーグルス、ヴィッセル神戸、バルセロナFC)が勝利した翌日もポイントアップします。このポイントは、たまたま乗っかればラッキーという感覚で構えています」 アマゾンでも日用品の定期購入でディスカウントされるサービスがあるが、なかなか消耗品が減るタイミングを読み切るのは難しい。5と0のつく日はほぼ毎月6回は来るわけで、買い時を逃すことはな
武田 ……今、ものすごく腑に落ちました。私ももしまだデビューしていなかったら、今でも吹奏楽小説を書いているかもしれない。満足したものを書けたから「次に行こう!」と思っているんだなって、自分の思考回路に初めて気づきました。 「愛情を人質にする」虐待、「親が好き」という呪い 辻村 最新作(『愛されなくても別に』)では、三人の大学生の女の子たちが出てきて、それぞれみんな抱えているしんどさが違う。その根本には、家族の存在があって。虐待にも等しい、親が子供から思考力を奪ってしまうことってだいたいが、愛情を人質にしておこなわれるんですよね。子供は「親を信じたい」とか、「愛してくれているんだから、我慢しなきゃ」とか追い込まれていく。その雰囲気が、三組の家庭全部に表れている。 武田 「親が好き」って思い込んでいる子は、「親と一緒じゃないとダメなんじゃないか」って、自分で自分に呪いをかけていると思うんです。
アダム・スミスの「神の見えざる手」を多分、あなたも誤解している 「自由放任でOK」なんて言っていません 市場経済は、放っておけば「神の見えざる手」によって自然とバランスする——18世紀イギリスの哲学者・経済学者アダム・スミスのこの思想は、その後の国際社会に大きな影響を与えた。しかし、彼は単なる「自由至上主義者」ではない。『アダム・スミス 競争と共感、そして自由な社会へ』を著し、スミスの重要著作『道徳感情論』の邦訳も手がけた経済学者・高哲男氏が、巷にはびこる大きな誤解を撃つ。 「公共事業」は意外と大事 アダム・スミスは、現代的な市場経済システムが「自己完結的」であるということを、歴史上初めて明確に定義した経済学者である。 「自己完結的」というのは、人間が生まれつきもっている「自己利益の追求」という個人的な動機を自由に解き放っておけば、市場も社会もおのずと成長し続ける、ということだ。 たとえひ
小・中学生の女子はなぜ「うち」という一人称を使うのか? その深すぎる理由 彼女たちが抱えている「ジレンマ」 理解できないためなのか、この事例は、「男子のように主張したい女子の一過性の行動だ」、と言われることもあり、まともに取り上げられることが少なかった。 「ヤフー知恵袋」には、「たまに自分のことを『俺』『僕』と呼ぶ娘さん達に会うんですが、彼女らの親は、どうして注意しないんですか?」という質問が載っている。ベストアンサーには、「少なくとも私なら娘が『ボクっ子』になるようなら、注意はしますよ。(…)ちなみに20歳過ぎても『ボクっ子』というのはあまりいないように思います(…)。 一過性のものなのかもしれませんね。」が選ばれている。 また、女子は「わたし」で、男子は「ぼく」を使うことが当たり前なのに、そんなことも知らないのかと、あきれられることもあるし、親切心からか、直してくれる人もいるそうだ。以
――1980年代と「友情」と言えば、1968年に創刊された「週刊少年ジャンプ」が「友情・努力・勝利」を掲げ、80年代には爆発的に部数を伸ばしたことが想起されますが、何か関係がありますか? 石田 自由で自発的な友人関係というものが世間の中に浸透していった80年代に『ジャンプ』は部数を積み上げていきました。血縁や地域とのつながり、あるいは会社の差配で決まる上下関係とは異なり、感情的な結びつきによって作られる人間関係が80年代には社会的に前面に押し出されてきます。その典型が「友人」と「恋愛」です。 当時の社会調査によれば、80年代前半には、婚前交渉を許容する人はまだ3割程度しかいなかった。結婚を前提とせずに付き合うことは比較的珍しく、「恋愛」と「セックス」と「結婚」はあまり離れていなかった。それが80年代後半にはトレンディドラマが流行し、恋愛のための恋愛がブームになる。それと少年マンガなどにおい
「人それぞれ」で処理する冷たい距離感 ――90年代中盤以降生まれのいわゆる「Z世代」の友人関係の特徴は? 石田 物心ついたころから友人関係がデジタルに可視化されているのが特徴的です。友達やフォロワー、「いいね!」の数にしろ「グループ」にしろ、SNS普及以前までは明確な線引きはなかったものが、すべて目に見えます。自分がどの輪の中に登録され、送ったLINEに対して誰の返信がいつ来たのか/来なかったのか、あるいは、ある友人と別の友人が遊びに行っているのに自分は誘われていなかったことまでが見えている。これまでグレーゾーンで処理してきた部分が露骨に見え、線引きされてしまう。 ――スマホを使ったコミュニケーションでは、友達同士でしていたつもりの秘密のやりとりが、仲違いなどをきっかけに第三者に流出するかもしれない可能性もありますよね。 石田 ですから関係を維持するために、より本音が出しづらくなり、より気
経済学では「労働」と「資本」の投入により企業が生産活動を行う…という考え方をする。日本は数十年にわたって低成長に苦しんできたが、労働量も資本量も変化していないという両者の推移だけを見れば、たしかに政府・日銀が言うように、「日本は(労働量、資本量、生産性が重要な意味を持つ)潜在成長率が低い」という結論が、計算上は導き出される。 しかし「ファクターX」は経済の世界にもある。このグラフは、企業は成長余力をすべて内部留保という財務基盤強化に費やしており、その結果、日本経済はいわばフル稼働未満であることを示している。 裏返せば、この内部留保を賃上げや投資(とりわけ賃上げ)に回せば、日本経済はもっと好循環を実現できていたということになるのだが、以下、そのメカニズムを見ていこう。 逆回転の日本経済 この内部留保の増加幅は、いくつかの段階を経て、国民経済計算上(国全体の経済を計算するうえ)では、「企業貯蓄
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