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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/matsuoka_miki (3)

  • きっかけは「他人の目」でも、「自分の目」で見て判断する - すちゃらかな日常 松岡美樹

    前回エントリ『あなたは「他人の目」でブログを読んでいないか?』では、情報収集の手段がソーシャルブックマーク(SBM)とニュースサイト(NS)だけになるとまずいんじゃないか? てな話をした。 論点は以下の2つだ。 1. SBMとNSに頼りきりだと、記事を発掘する目が他人まかせになりすぎないか? 2. SBMとNSに頼りきりだと、自分の感性で自分だけが「おもしろい」と感じる記事を見逃すんじゃないか? で、例によってはてなブックマークのコメントで、示唆に富むおもしろい意見をたくさんいただいた。それらを読み、思考がさらに深まった感じだ。そこで新しくエントリを立てることにした。結論をひと言でいえば、次のタイトル通りである。 ■自分の目と脳で読めば無問題じゃない? 今回の記事を書くモチベーションになったのは、以下のコメントだ。(2007年12月25日現在) ● NOV1975さん 「読むときには自分の

    きっかけは「他人の目」でも、「自分の目」で見て判断する - すちゃらかな日常 松岡美樹
    TZK
    TZK 2007/12/26
  • 人生をスルーした人々 - すちゃらかな日常 松岡美樹

    休暇で沖縄の離島に行き、不思議な人たちと出会った。彼らは決まって20代で、州など沖縄以外の土地から移住してきている。仕事は現地ツアーのガイドや民宿の従業員など。島での雇用はもっぱら観光産業しかないからだ。 彼らはなぜ20代の若さでこんな南の果てへ来たのか? 興味をもち、何人かに話を聞いてみた。神戸から移住し、ホテルで働く女性は「ここなら何もないと思ったから」と言う。なんと私がこの離島へ遊びに来たのと同じ理由だった。 だけど彼女は旅行じゃない。移住だ。「何もないから移り住んだ」というのは、ある意味ふつうじゃない。なんだか老子みたいに人生を達観したような感じなのだ。 しばらくあれこれ話してみた。すると人は決して触れないけれど、自分の人生でかなりヘビーな体験をしたようだった。で、突き抜けてここへ来たというのが真相らしい。 またトレッキングツアーのガイドをやってる岐阜出身の男性に「なぜ来たのか

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  • 自分探しシンドロームを超えろ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    今の派遣とか非正規雇用とかの状況を見ていると、結局、勝ち続けるのは個人じゃなく企業なんだなぁと思い知らされる。 1980年代初頭にフリーターなる言葉が出てきたとき、思ったものだ。「これからは目標も持たずになんとなく就職するんじゃなく、自分のやりたいことを目指す社会になるんだな」と。 ライフスタイルとしての個人主義って言葉は当時すでにあったけど、ワーキング・スタイル的にも集団(企業)ではなく個人の時代が来たんだな、と感じた。 それまでの企業中心主義社会では、企業の終身雇用制が社会的なセーフティネットの役割を果たしていた。仕事は保証する。死んだら会社が墓も作ってやる。そのかわりカイシャに隷属せよ、と。 そんなカイシャは否応なくプライベートに侵入してくる。冠婚葬祭では上司の部長が音頭を取り、退社後の花見では場所取りをやらされる。暑くても上着を着ろネクタイをしろ革を履け。カイシャ中心のライフスタ

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    TZK
    TZK 2007/08/05
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