先月の30日、いわゆる「君が代不起立訴訟」について、最高裁が原告側の上告を棄却する判決を下した。 興味深い話題だ。 が、記事として取り上げるのは、正直に言って、気が重い。 今回は、私自身のこの「気後れ」を出発点に原稿を書き始めてみることにする。 「君が代」について書くことが、どうして書き手にストレスをもたらすのか。 「君が代」の最初の課題はここにある。圧力。見逃されがちだが、大切なポイントだ。 気後れの理由のひとつは、たとえば、コメント欄が荒れるところにある。 愛国心関連の記事がアップされていることが伝わる(どうせ伝わるのだよ。どこからともなく。またたく間に)と、本欄の定期的な読者ではない人々も含めて、かなりの数の野次馬が吸い寄せられてくる。その彼らは、「売国」だとか「反日」だとかいった定型的なコメントを大量に書きこんでいく。休止状態になっている私のブログにも、例によっていやがらせのコメン
ばるかんろぐ ストライクウィッチーズのズボンがパンツにしか見えない どう見てもズボンですがなにか。 それはさておき、「ぱんつを、ぱんつではなくズボンにしてしまうことで何でもありな世界を作る」という試みは実はものすごい見事な手法だと感じていて。 だって、これが「ズボンだから!」で通してしまうアニメなら、観客側も「ならしかたないな!」ってならざるを得ないですもん。何でもありにシフトしたのは見事です。 魔法とか銃器とかいろいろ調べていくと面白い部分がてんこもりな設定の細かい作品でもありますし、それが多少ずれていても、まあそもそも魔法だしズボンだし「ありだな!」とねじ伏せるテクニックよ。 なんでもありなんだけど、人間同士は争わない、あくまでもネウロイという敵としか闘わないという徹底したコンセプトも、戦争風刺になっていながらきちんとクッションが敷かれていて面白いです。 ミリタリ物最大の難関「人が戦う
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