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2014年3月11日のブックマーク (3件)

  • <大震災3年>二極化 「幸いの種」は見えるか|岩手日報・論説

    <大震災3年>二極化 「幸いの種」は見えるか 半世紀をかけた方言研究の原稿がすべて整ったのは、3年前のあの日だった。東日大震災。高台にあった自宅は無事だったが、肉親や親戚、多くの知人を失った。 宮古市の元教育委員長坂口忠さん(85)は、一時は出版を諦めた。だが、周囲で頑張っている人たちの姿が背中を押してくれた。震災翌年に刊行にこぎつけた書名は「ことばのおくら」。「宮古方言の蔵」の意味だ。 全面的に改めた刊行の言葉にこう書いた。「『宮古方言』はあくまで『生きるための言葉』であり…『宮古方言』なくして、宮古の『復興』はない」。懸命に震災を乗り越えようとしている被災地への思いだった。 きょう11日で東日大震災から3年。被災地では工事用車両が走り、重機がうなる。防潮堤が再建され、道路が延びる。復興は順調に進んでいるように見える。 しかし、その陰で3年前から時が止まったままの人も多い。紙が実施

    Yauchi
    Yauchi 2014/03/11
    03/11「『仮設住宅で電話すると隣に聞こえるからと、布団の中から電話してくる人もいる』と熊坂さん。相談から見えてくるのは、孤立している被災者の姿だ。ここには『絆』が届かない」
  • 「釜石の奇跡」なぜ妻だけ… 学校に残り不明のまま

    「震災の『真実』を教訓に、と同じような人を出さないでほしい」。釜石市甲子町の会社員木村正明さん(58)は東日大震災の津波で行方不明のタカ子さん=当時(53)=を思い、強く願う。市内の学校事務職員だったタカ子さんは勤務中に被災。学校に残り津波に巻き込まれたとみられる。「なぜ」。その思いは3年たった今も消えない。子どもたちの避難行動は「釜石の奇跡」とも言われるが「犠牲者がいたことは知られず、言葉が独り歩きした。事実に目を向け、後世に伝えなければならない」。心から訴える。 木村さんは震災でタカ子さん、足が不自由だった母光子さん=当時(81)、義母佐藤モンさん=当時(80)、山田町=の3人を失った。母、との穏やかで笑いが絶えない生活は一変した。 震災時、木村さんは市内の職場にいた。同市鵜住居町の自宅に向かったのは12日。約10年前のけがが原因で松葉づえをついて歩くため、到着したのは約6時間

    「釜石の奇跡」なぜ妻だけ… 学校に残り不明のまま
    Yauchi
    Yauchi 2014/03/11
    03/11「学校事務職員だったタカ子さんは(...)学校に残り津波に巻き込まれたとみられる(...)保護者が迎えに来るため対応せざるを得ない状況だった(...)『釜石の奇跡』という(...)一面的な事実が発信される事に憤りと悔しさ」
  • 社説|大震災3年 復興の作法/「忘れない」を行動で示そう | 河北新報オンラインニュース

    大震災3年 復興の作法/「忘れない」を行動で示そう 宮城、岩手の被災地を巡っていて見えてきたものがある。「確かなあした」が見えてこない現実だ。  地域や被災者で復興の状況は一様ではない。ただ、基盤整備が進む地域であっても、暮らしが戻ったようには感じない。福島第1原発事故の対応は依然手探り状態で、汚染された周辺は復旧以前の姿をさらす。  東日大震災から、きょう3年を迎える。被災地は焦りを募らせ、被災者は戻らぬ日常に途方に暮れる。要の「住まい」と「なりわい」を十分得られないまま、時間が過ぎてゆく。  避難者は26万人を超え、岩手、宮城、福島3県で10万人近くが仮設住宅で暮らす。生産活動は風評にも災いされ、低迷。企業倒産は阪神大震災の3.8倍(帝国データバンク調べ)。一時的な復興特需頼みが続く。  「3年もたてば生活再建も…」。期待は遠のき、津波の猛威を物語る建物がほぼ撤去され、思い出が跡形も

    Yauchi
    Yauchi 2014/03/11
    03/11「『3年もたてば生活再建も…』。期待は遠のき、津波の猛威を物語る建物がほぼ撤去され、思い出が跡形もなく消えた更地が道のりの険しさを教える」