<大震災3年>二極化 「幸いの種」は見えるか 半世紀をかけた方言研究の原稿がすべて整ったのは、3年前のあの日だった。東日本大震災。高台にあった自宅は無事だったが、肉親や親戚、多くの知人を失った。 宮古市の元教育委員長坂口忠さん(85)は、一時は出版を諦めた。だが、周囲で頑張っている人たちの姿が背中を押してくれた。震災翌年に刊行にこぎつけた書名は「ことばのおくら」。「宮古方言の蔵」の意味だ。 全面的に改めた刊行の言葉にこう書いた。「『宮古方言』はあくまで『生きるための言葉』であり…『宮古方言』なくして、宮古の『復興』はない」。懸命に震災を乗り越えようとしている被災地への思いだった。 きょう11日で東日本大震災から3年。被災地では工事用車両が走り、重機がうなる。防潮堤が再建され、道路が延びる。復興は順調に進んでいるように見える。 しかし、その陰で3年前から時が止まったままの人も多い。本紙が実施