大阪国際平和センター(ピースおおさか)に展示されている石田恵美さんの大阪大空襲の体験画。左が母チカノさん、右が妹尊子さん=大阪市中央区で2021年3月5日午後1時22分、園部仁史撮影 「妹が火だるまになって死んでいった。悲しい気持ちは今も変わらない」。目を閉じると、光景がよみがえる。当時10歳、妹はまだ3歳半だった。その後、半世紀以上も心に負った傷に苦しんだ。約50万人が被災し、約4000人の命が奪われた第1次大阪大空襲から13日で76年。「決して昔話じゃない」。大阪府茨木市の石田恵美さん(86)は訴える。 1945年3月13日深夜、大阪市西成区にあった自宅。石田さんの隣で、妹の尊子(けいこ)さんは寝息を立てていた。「早く逃げろー」。米軍の空襲に気付いた父の大声で目が覚めた。父と兄は地区の消火活動にあたらなければならない。上着も羽織らず、妹をおぶった母チカノさんと外に出た。焼夷(しょうい)