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ブックマーク / blog.skky.jp (10)

  • 1週間でオワコンと見なされたサービスの振り返り - しっきーのブログ

    「Webgeki(ウェブゲキ)」というサービスのβ版をリリースして、一週間経った時点での総括と今後の方針。 再現性のある事例ではないと思うけど、何らかの教訓はあるかもしれない。長いですが気になる方はどうぞ。あとWebgekiファンの方やWebgekiの今後が気になる方も。 Webgeki - Web論戦のプラットフォーム まず結果から という感じですね。はい。 β版リリース前の想定 Webgekiは、自分のツイッターやはてなアカウントを使ってじわじわと広げていくことを想定したサービスだった。最初からこれほど人が来るとは考えてなくて、自分のブログやツイッターで「Webgekiやってあげてもいいよ!」という人を見つけて、自分で試しにバトルしてみる、みたいな牧歌的な感じでやるつもりだった。 ブログが「はてなブックマーク」のホッテントリに取り上げられてそこから流入が来ることは、正直期待していたのだ

    1週間でオワコンと見なされたサービスの振り返り - しっきーのブログ
  • 開発しているウェブサービスのこと - しっきーのブログ

    4月頃から、僕ともう一人の二人のメンバーでウェブサービスの開発をしていて、完成間近だ! コミケ終了後の8月15日にβ版をリリースする予定。 くだらないことがやりたかった。 「便利」とか「最適」の追求は、放っておいても誰かがやるので、そういうのとは違うことがしたかった。 そして、「くだらないこと」をやるためにも、強い意志と明確な設計が必要なんだということが、身にしみてわかった。 サービス名は「Webgeki(ウェブゲキ)」。 ウェブ上で論戦をして、勝敗をつけて遊ぶサービスだ。 オンラインでできるディベートのゲームみたいなものと考えてもらえればわかりやすいと思う。 ただ、ディベートと違うのは、ユーザーが勝敗の判定をする側の「ジャッジ」としても参加できることと、「運動と瞑想どっちが健康にいいか?」みたいなふざけたものも含めて論戦のテーマが何でもアリということだ。 開発中の画像だけど、イメージとし

    開発しているウェブサービスのこと - しっきーのブログ
    arihoshino
    arihoshino 2016/08/08
    人格攻撃や粘着アンチ、集団リンチを生まないシステムに出来るんだろうか。
  • 【藤沢数希】恋愛工学という厄介な新興宗教【批判】 - しっきーのブログ

    藤沢数希が提唱する「恋愛工学」は、支持者が多い一方で批判も多く、最近はブログやTwitterで信者とアンチが毎日のように戦いを繰り広げている。 僕が藤沢数希の名前を認識したのは小保方さんついて彼が書いたものを目にしたときからだが、恋愛工学が一般に認知されて論争に火がついたのは青柳美帆子さんのブログエントリーがきっかけのように思える。 恋愛工学が謎タームばかりでめっちゃキモ面白い件 - アオヤギさんたら読まずにべた 恋愛工学がなぜ流行するのか? 記事を書くにあたって、一記事200円の有料メルマガ(ブロマガ)を、全部ではないがちゃんと金を払って読んだ。藤沢数希氏の著書である「僕は愛を証明しようと思う」も立ち読みで斜め読みだが一応は読了。 ぼくは愛を証明しようと思う。 (幻冬舎単行) 作者: 藤沢数希出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2015/07/24メディア: Kindle版この商品を

    【藤沢数希】恋愛工学という厄介な新興宗教【批判】 - しっきーのブログ
  • 戦争をしないためには戦争を知るべき? - しっきーのブログ

    戦争をちゃんと学ばないのは日政治家だけらしい。まあ歴史的経緯を考えるとやむなし。日は軍部が暴走したせいで悲惨な戦闘に突入していったイメージが強いけど、世界の戦争を見ていくと政治指導者の野望や判断ミスから戦争になったことがほとんどで、軍が暴走するみたいな例は珍しい。と、防衛大学校出身の方がおっしゃっております。 敬礼(`・ω・́)ゝ 防衛大出身で積極的に言論活動したがる人ってそれこそヤバいイメージが強いが、ここでは某田母神さんの話はやめておこう。今回読んだは、黒野耐『「戦争学」概論』であります。 「戦争学」概論 (講談社現代新書) 作者: 黒野耐出版社/メーカー: 講談社発売日: 2005/09/17メディア: 新書購入: 3人 クリック: 10回この商品を含むブログ (26件) を見る 三島由紀夫は、「戦後の非武装平和と戦中の一億玉砕って根は同じだよね?そう思わない?」みたいなこと

    戦争をしないためには戦争を知るべき? - しっきーのブログ
  • ネットに悪意が渦巻く今の状況って、悪人からすればありがたいよね - しっきーのブログ

    ネットで誰もが発言できるようになった。僕もブログをやってて少し人気が出てきたからわけるけど、記事が多くの人に見られると100%批判や非難があるんだよね。もちろん色んな意見があるべきだけど、目立てば「目立ってるから」という理由で叩く人もいるし、記事を読まずにタイトルだけで批判する人もいるし、無造作に悪意をふりまいているようなのもいる。そういう感覚は、ネットをある程度やってる人からすればなんとなくわかると思う。 このエントリーでは、何かに批判する人を批判したいわけじゃない。何にでも批判できる自由は、心ない言葉を好んで投げつける輩がいるという事実を差し引いても、大切にするべき権利だろう。僕だってブログ内でけっこう批判的なことを言ったりする。 ネットで勢いよく叩かれることを「炎上」とか「燃えた」とか言うけど、昔の炎上はアクセスが集まりすぎてブログのサーバーが落ちるというDoS攻撃みたいな感じだった

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  • 「いいひと」が得をする社会になってきたのか? - しっきーのブログ

    「いいひと」って損をするイメージが強い。人がいいと騙されやすいとか、つけこまれやすいとか、限られた資源や勝者の座を譲ってしまったりするやつは資主義経済で生き残れないとか。あと、いい人はに女の子をものにできないっていうのもあるよね。ワイルドだろ?って感じで、グイグイ引っ張っていくようなDQNのほうが女子にモテるみたいな話。まあ、今どきちょっと気骨のある女の子にそんな考えを話したら軽蔑の目で見られるだろう。 たしか、どういう戦略が最終的に得をするのというゲーム理論の実験で、最初は協力、相手が協力してくれたら次も協力、相手が裏切ったら次は裏切り、というシンプルな戦略がもっとも得をするという結果が出たんだっけ。でも、これからはずっと「協力」の手を出し続けるような「いいひと」が勝つ、そういう時代になってきたんだと岡田斗司夫が言ってる。 超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略 増補改訂版

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  • 内田樹の思想 - しっきーのブログ

    内田樹(うちだたつる)って知ってる?ひょっとしたら、今最も「影響力」のある思想家かもしれない。神戸女学院大学の教授をしてて、現在は退職して「凱風館」という道場をかまえている。思想家であり、合気道を修める武道家でもある。 凱風館です。合気道を習えるみたい。 内田樹の思想は好き嫌いが別れると思う。というより、受けつける人は受けつけるし、受けつけない人はまったく受けつけない種類のものだ。内田樹は25歳のときからずっと合気道に打ち込んでいて、身体感覚に根ざした発想で話を展開する。切り口や扱うトピックを変えながら、身体に染み込ませるように同じことを繰り返し言う。彼のは、まるで道場に通って武道の練習をしているかのような読み心地なのだ。 内田樹を批判する人も多いが、そういう人の気持ちはわかる。内田樹は「科学的」とされる論の進め方をしていない。科学にとって大事なのは「反証可能性」で、理系だったら同じ実験

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  • 結婚式が大好きな女の子と結婚できるか? - しっきーのブログ

  • 日本の雇用は「身分制」 - しっきーのブログ

    型雇用の大きな特徴は、職務のない雇用契約だ。日の会社では「職務」という考えが希薄で、かわりに「所属」がある。欧米では仕事と賃金が対応している「ジョブ制」だが、日の会社は所属内の地位によって待遇が決まる「メンバーシップ制」と言える。 終身雇用、年功序列、企業別組合が三種の神器と言われてきたが、これもメンバーシップ制という枠組みでのことだろう。ヨーロッパやアジア(アメリカ以外)の会社は、解職の権利が厳しく制限されている。だが、雇用契約で定められた職務がなくなった場合には、解雇の正当な理由になる。 一方で日の場合、「雇用契約」で仕事の内容が決まっているわけではないので、ある仕事がなくなっても、その職員を別の仕事にまわして雇用を維持してきた。だから、日の会社に勤める人はある意味では「奴隷」であり、社畜と揶揄されるのも、実態に即しているのかもしれない。 例えば、出向や単身赴任というシステ

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  • 宮台真司『愛のキャラバン』を読んで、ナンパを批判したり恋愛を語ったりしてみる - しっきーのブログ

    いつだったか忘れてしまった。高校生くらいのときだろうか。ちょっとした考えに頭を悩ませたことがあった。それは、当に満足している奴や楽しんでいる奴には、どうやったって勝てないんじゃないかという。実体のない憂な予感のようなものだった。それは、当時の僕が、自分が心から満足することなんて一生やってこないんじゃないかと理由もなく不安になっていたからだ。 ただ、それは結局一つの安心に行き着いた。その、漠然と思い描いた満足という観念が直接自分に襲いかかってくることはありえないだろうという妙な安心だった。 満足というのはそれ自体で完結しているので、わざわざ口に出して人に伝える必要はない。だから自分が満足しているということ自体をなんらかの武器として使うことは原則としてできない。「俺はこんなにいい思いをしているんだよ」と必死に自慢する人は、まさにそれを言うことによって語るに落ちている。当にいい思いをしてい

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