著者の井上章一さんは元来建築史家だ。『アート・キッチュ・ジャパネスク 大東亜のポストモダン』(青土社/1987)を最初に読んだ。その前の『霊柩車の誕生』(朝日新聞社/1984)や『つくられた桂離宮神話』(弘文堂/1986)で評価は知っていたが読んでいない。1991年の『美人論』(アタシも読んだ)で洛陽の紙価を高めて以来、井上先生すっかり風俗研究者となったらしい。そー言えば、最近、あかつきサンがFBで『性欲の研究/エロティック・アジア』(平凡社)の表紙をだしてましたな。 第一章 弘法大師空海が開いた真言宗総本山高野山の奥院に「大秦景教流行中国碑」という石碑がある。大秦とは古代ローマないしはシリア域を表す。景教はローマ教会からエフェソス公会議(431)で異端とされたネストリウス派が遥か中国にまで宣教したキリスト教徒である。景教が635年唐の長安に到り波斯寺を建立した。波斯とはペルシャのことであ
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