原爆が戦争終結の時期を早めたという議論の根拠はとぼしく、「たとえ原子爆弾を投下していなくても、ソビエトの参戦によって、十一月前には日本は降伏していたかもしれない」。加えて、米国の指導者のなかで、一九四五年の春から夏の段階において、「五十万の米国人(将兵)の命を救うために」原爆を使用すべきだと考えていた者など一人としていなかった。広島や長崎への原爆投下を可能にしたのは、二十億ドルもの資金を投入したプロジェクトのもつ政治的・機構的勢い、そして、第二次大戦の熾烈な戦闘を通じて、(市民を戦闘行為に巻き込まないという)旧来の道徳観が崩れてしまっていたからにほかならない。この道徳観の衰退こそ、後における核兵器による恐怖の時代の背景を提供したのである。ドイツや日本の軍国主義者たちだけでなく、なぜ、米国を含む他の諸国の道徳観までもがかくも荒廃していたのか、この点にこそわれわれが歴史の教訓として学ぶべきテー
官僚に関する五つの虚構 アメリカの対日政策、とくにアジア経済危機を前にした対日政策は、次に指摘する五つの仮説に基づいている。しかもアメリカの政策決定者、日本を専門とする学者だけでなく、数多くの卓越したビジネス・エグゼクティブ間においてさえ、この仮説はすでに信条と化している。しかし、これらのすべては、完全な間違いか、相当甘くみてもかなり根拠が疑わしい(そうした仮説とは次のとおり)。 �@政策決定のほぼ全面的な独占、官僚による「行政指導」を通じたビジネスや経済の管理など、政府官僚の優位は日本に特有なものと考えられる。 �A「専門家を頂点に置くのではなく、彼らをつねに利用できる状態にしておく」という本来のあるべき姿へと官僚の役割を軌道修正するのはそれほど難しくない。それに必要なのは政治的意思だけだ。 �B日本の官僚のような支配エリートは、近代的な先進工業社会には必要でないばかりか、民主主義にとっ
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