ドーハで建設中のアル・ワクラ・スタジアム=Olya Morvan/©2018 The New York Times。開催までに計八つのスタジアム新設が予定されており、暑い中、外国人労働者が昼夜交代制で働いている
「老いぼれ」と「ロケットマン」が握手した 「最後に残った冷戦」といわれた北東アジアの急速な変化を、数カ月前に誰が予想したでしょうか。山の中を走っていたのに、ふと顔を上げると車窓に海が広がっている。シンガポールで12日に開かれた初の米朝首脳会談に、そんな感が拭えません。 まだ長い交渉の始まりに過ぎず、北朝鮮の非核化までには曲折もあるでしょう。にもかかわらず、北朝鮮が核実験やミサイル発射で恐怖をばらまいていた日は遠ざかり、「老いぼれ」「ロケットマン」と非難し合った2人が笑顔で握手をし、北朝鮮の国際社会復帰への道筋さえうっすらと浮かんでいる。それだけでも、すでに世界は違う局面に移ったといえるでしょう。 緊張の壁に風穴を開けたのは何より韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領の功績ですし、呼びかけに応じて表の世界へのデビューを果たした北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の度胸も評価されていい
磁場に引き寄せられる逸材たち 「天才」をあまた輩出したイタリア・ルネサンス期。代表格のレオナルド・ダビンチ(1452~1519)は、メディチ家などが支援するフィレンツェの「工房」で、ボッティチェリら異才と競い合い、多彩な才能を花開かせた。 そんな「ダビンチ工房」と類似点が多いのが、米マサチューセッツ工科大学(MIT)の「メディアラボ」だ。 MITメディアラボ Photo: Tannai Atsuko 1985年の創設以来、キンドルなどに使われるEインク、ウェアラブルコンピューターなど画期的な発明を続々と世に送り出し、産業界から強力な資金援助を得ている。 ラボの客員教授を務めた慶応大学教授、中村伊知哉(57)は言う。「ラボが一つの磁場を構成し、とっぴな発想で何かをつくり出そうとする人たちが引き寄せられてくる」 MITのグレート・ドーム Photo: Tannai Atsuko 「天才」が才能
[第9回]マイケル・ブースの世界を食べる photo: Semba Satoru 日本を訪れる外国人観光客は今年、2000万人を突破した。 17年前、日本に恋をした筆者が明かす日本の魅力とは? それは島国ニッポンの深い自己洞察が生み出した、 奇妙で偏執的で、狂おしいまでの食への愛。 正直に言わせてもらう。時として日本人は、外の世界からみれば完全にご乱心である。我々外国人が今までもこれからも理解できないであろう文化的、社会的事象の多いこと多いこと。神道しかり、アンパンマンしかり。歌舞伎にしても、AKB48にしてもだ。その中にあって、困惑の極致とも言えるのが食だろう。 ヨークシャー・プディング(肉料理の付け合わせとして食べるシュークリームの皮のようなもの)が料理の最高峰とされ、他はすべてパイに包まれてしまう国出身の私だが、わが国民の奇行ぶりも、日本人の食習慣に比べればかわいらしく見えてくるとい
アフリカ研究者 白戸圭一 20 東京でセクハラ問題に声を上げる人たち 戦わなかったったテレビ朝日 毎日新聞社の南アフリカ駐在特派員だったころ、アフリカ各地で武力紛争の取材を繰り返した。無政府状態下で銃弾が飛び交うソマリアの首都モガディシオや、政権による激しい人権弾圧が続くスーダン西部のダルフール地方では怖い思いもした。 しかし、誤解を恐れずに言えば、この死と隣り合わせの過酷な状況下で取材することに、私はジャーナリストという仕事の醍醐味を感じていた。目の前の悲惨な現実を、誰かが体を張って伝えなければならないという使命感。ジャーナリストは筆の力で不正と戦わなければならないという責任意識。記者が「マスゴミ」と侮蔑される今日、こんなことを書けば思い上がりか自己陶酔と冷笑されるのがオチだろうが、当時の私は過酷な条件下での紛争取材を繰り返す中で、そうした思いを強くしていった。 アフリカ特派員時代を懐古
米ジョージ・ワシントン大学教授フランク・セズノさんに聞く トランプ米大統領の「炎と怒り」が止まらない。中でも矛先は、大統領選中から、メディアに鋭く向けられている。米国の亀裂が深まるなか、政治とメディアの対立はいつごろから始まり、今後どうなるのか。米CNN記者の経験が長い専門家に聞いた。 ——米メディアは、政治と同様に保守とリベラルに分極化しています。いつから始まったのでしょうか。 自分たちの声が反映されていないという保守派の人々の怒りは、1960年代の公民権運動の頃からありましたが、90年代に保守系ケーブルテレビ局「FOXニュース」が登場したことで、真に形づくられました。FOXを創設したのは、ニクソン元大統領のために働いたこともあるロジャー・エイルズ氏です。今、FOXは「公正さ」を装うことすらせず、トランプ政権の代弁者になっています。さらに、オンラインメディアやソーシャルメディアによって、
日本の伝統衣装といわれる着物の売り上げが減り続けている。一方では、その魅力を再発見する動きがでてきた。着物は衰退の危機を乗り越えられるのか。
――東京を国内外に印象付けるためのロゴとキャッチコピーを担当しました。 東京は体系立って世界に発信することや、ブランドを考えるということを全くやっていませんでした。世界の名だたる都市はずっと前からそういうことをやっていたのですが。数年前から、東京でもきちんと考えようと委員会が立ち上がり私も関わっていました。グローバル化が進み、都市間競争、観光人口のパイの取り合いが起こっている中で、東京自体も新たな成長産業として観光をきちんと考えていこうということですね。 「東京」の前に長々と文字をつけてもよく分からない。シンプルなTOKYOという文字が目に入るだけでも訴求力があるんじゃないかなと考えました。また、新旧が結びついて新しいものが生まれていくダイナミズムが東京の魅力と考えたときに、単純に言葉で定義するのでなく、運動体として情報として入っていく方が本質的なんじゃないかと思って「&TOKYO」を作り
初のサーフィン、喜びを撮る 10月初旬、生まれて初めてサーフィンに挑み、その姿を「自撮り」した。正確には、撮影したのはサーフボードに装着したアクションカメラ「GoPro」だ。ズームも手ぶれ補正も、機種によっては液晶モニターもないが、170度の超広角レンズが被写体の自然な姿を写しだす。 GoPro[HERO] 米国のベンチャーGoProが開発。ライブ感あふれる写真や映像がSNSで「シェア(共有)」され、世界に利用者が広がった。ヒットの理由を探ろうと、米西海岸の町カーディフのオフィスを訪ねた。 2階建て社屋の屋上からビーチが見える。広報担当ディレクター、リック・ラフリー(42)によれば、社員たちは昼休みにサーフィンを楽しむという。機材の使い勝手を試すにはぴったりだ。 日没まで1時間余り。日差しは強く、水温は温かい。波は引き潮、そう高くはない。ラフリーがサーフィンの指導役を引き受けてくれた。一体
オリンピックの季節がやってきます。自国選手のプレーに、人々は一喜一憂します。メダルの数が「国力」を表すかのように。でも、先進国では少子化が進んでいます。現役や未来のアスリート世代が減っていけば、どうなるのでしょう。パリ五輪を前に、スポーツとの向き合い方を考えました。
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