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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (29)

  • 提案力を向上させる3つのポイント - ハックルベリーに会いに行く

    以前、プレゼンテーションについていくつかのエントリーを書いた。なぜ女の子は「何べる?」と聞くと「何でも良い」と言うくせに、いざ具体的に提案すると「それはイヤだ」と言うのかプレゼンテーションを成功させるための9つのステップこれに関連して、今回はプレゼンテーションをする際に心懸けると良い、具体的な3つのポイントについて書いてみたい。プレゼンテーションを「何かを提案すること」だとするなら、その提案する力――すなわち「提案力」を向上させるためには、次の3つのポイントを心懸けると良いだろう。 その1 「複数提案する」人間は、何ごとも押しつけられるよりは自ら選びたいという根元的欲求を抱いている。それに応えるため、提案は複数すると良い。そうすれば、そこから選ぶことができるので、相手の欲求を満たすことができる。 その2 「提案数を絞る」人間は、選びたいという欲求を抱いているのと同時に、とても面倒くさがり

  • 電車の中でマンガを読ませないようにしているのは実は出版社だった - ハックルベリーに会いに行く

    今日、アキバ系の聖地、マンガの総山のとらのあなに行ってきました。 そこで、ブコメで勧めてくれたマンガが多く載っている「アフタヌーン」を試しに買ってみました。 しかしこれは何なんでしょうか?付録なんて見たの、いつ以来かな…… それにこの厚さ。家まで持ち帰るのが重くて仕方ありません。 さらに、この表紙。 これはもはや……電車の中で読まれることを完全に拒否してますね。 電車の中でマンガが読まれなくなったのは、むしろ出版社がそれを拒否しているのだということが今日分かりました。読んだ感想については、読み終わったら書きたいと思います。

    atawi
    atawi 2008/12/02
    しかし買いにくい表紙になったってことだけは同意せざるを得ない。
  • 電車の中でマンガを読んでいるのは別の意味でみっともないと思ってしまう - ハックルベリーに会いに行く

    増田に、いい歳して漫画読んでるなんて、恥ずかしくない? という記事があったのだけれど、これを読んで、そう言えば電車の中でマンガを読んでいる人は当に少なくなったなあということに思い至った。 ぼくは今、毎日電車に乗って仕事場まで通っているのだけれど、最近は車内でマンガを読んでいる人というのをとんと見かけない。よく見かけるのはやっぱりケータイをいじっている人だ。一番はメールなのだろうけど、ネットを見たり、ゲームをしたりしている人もいるように思う。次によく見るのが携帯ゲーム機で遊ぶ人で、DSかPSPをやっている。これはけっこういい歳をした大人がやっている。普通の勤め人ふうの人がホームにいる時からやっていたりして、携帯ゲーム機が広く一般に普及しているというのがあれを見るとよく分かる。それからたまに新聞を読んだり雑誌を読んだり、あるいはを読んでいる人を見かけるのだけれど、マンガを読んでいる人という

    atawi
    atawi 2008/12/01
    言いたいことが先人に言い尽くされてて特に何もいうことがない
  • トンデモって言われたけど正直それほどでもないお(; ^ω^) - ハックルベリーに会いに行く

    なんかぼくのことトンデモって言われたけど正直それほどもでないお( ;^ω^)トンデモっていうのは逆に誉め言葉だお( ;^ω^)ぼくなんかに軽々しく使っちゃいけないお( ;^ω^)当のトンデモは以下に挙げるような人たちに使うものだお( ^ω^) ソクラテスは当のトンデモだお( ^ω^)彼は世の中を乱すとされて死刑にされたお( ;ω;)カエサルは当のトンデモだお( ^ω^)彼はトンデモ政治家だとしてよってたかって暗殺されたお( ;^ω^)マキャベリは当のトンデモだお( ^ω^)彼は正直になんでも言いすぎて無職になったお( ;ω;)ガリレオは当のトンデモだお( ^ω^)彼はトンデモ理論をぶち上げたので異端審問にかけられたお( ;^ω^)織田信長は当のトンデモだお( ^ω^)トンデモすぎて部下に殺されたお( ;^ω^)モーツァルトは当のトンデモだお( ^ω^)依頼主に逆らってばかりで

  • 英語に圧倒的に一人勝ちする7つの言い回し - ハックルベリーに会いに行く

    英語というのはぼくはほとんど喋れないのだが、ぼくの友人英語に圧倒的に一人勝ちしている人がいる。彼は、なんでも行く先々で「お前はおれが会った日人の中で一番英語が上手いな」といつも言われるのだそうだ。しかし彼の英語は、確かに威勢と度胸は良いのだが、単語をそんなに知っているわけでもないし、発音だって日英語丸出しだ。彼自身もそれを自覚していて、だからなんで自分がそんなに上手い上手いと言われるのか、長いあいだ疑問だったのだそうである。 そんなある時、この日も初めて出会った人に「お前の英語は最高だな」と言われたもので、とうとうなんでそう思うのかを聞いてみた。すると、その答がふるっていた。なんでも、彼の英語は、聞けば一発で日人と分かるたどたどしいものなのに、実に気持ち良くコミュニケーションできるのだそうである。その人に言わせると「日人というのは、英語が分からないとたいていはにかんだような笑顔

  • 小室哲哉は「人を見る目」のある人間だった - ハックルベリーに会いに行く

    小室哲哉が逮捕されてしまったけれど、昔の彼は当にすごかった。ぼくは彼のことを直接は知らないのだけれど、テレビ業界にいたからその噂は色々聞いていた。噂と言っても悪い噂というのではなく、良い噂の方だ。一頃の小室哲哉は、誰もが驚嘆するような、当にすごい仕事をしていた。 これは「ダウンタウンのごっつええ感じ(以下『ごっつ』)」のスタッフの人から聞いたのだけれど、彼らにとって小室哲哉はまるで魔法使いのような存在だった。魔法使いのように次から次へと信じられない所業を成し遂げ、みんなをびっくりさせたのだ。 小室哲哉が「ごっつ」のスタッフをまず驚かせたのは、篠原涼子をプロデュースして空前の大ヒットを飛ばした時だった。「ごっつ」のスタッフが驚いたのは、「あの」篠原涼子をプロデュースして200万枚を超えるセールスを記録したことだ。「あの」というのは、その頃の篠原涼子は(今の彼女からは想像もつかないが)、何

  • キングオブうすらバカ - ハックルベリーに会いに行く

    当に大切なのは、語られた言葉ではなく語られなかった言葉だというエントリーに、とあるうすらバカなブックマーカーからうすらバカなブックマークコメントを頂きました。それはうすらバカの神髄のようなコメントでした。tororo-imo はてな, バカ?, お笑い, これはひどい, ( ゚д゚)ポカーン 「うすらバカ」を自覚していない「うすらバカ」が同類を見下している図www / さすが、ゲーデルの不完全性定理を、「世界は矛盾しているのだ」と誤って理解する頭脳の持ち主は、スバラシイ頭なんだと改めて実感www これ以外のコメントは、うすらバカという意味では残念ながらこれに敵いません。このコメントを書いた人物はまさにうすらバカのグラウンド・ゼロ。うすらバカの最終形。はてなが生み出した究極のうすらバカ。キングオブうすらバカであり、言うならば「はてな座の怪人」であります。 うすらバカのブックマークhttp

  • うすらバカを目立たせるのがはてなのブコメ - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくは頭の良い人が好きだ。その一方でバカも好きだ。嫌いじゃない。だけど嫌いなのはうすらバカだ。これは当に心の底から嫌いだ。はてなにはバカが一番多い。これは確かなことで、誰にも否定しようがないだろう。次に、少数ながら頭の良い人もいる。これは時々当に感心させられる。強いインスパイアを受ける。そして割合としては一番少ないのだが、一握りのうすらバカがいる。これにはうんざりさせられる。彼らは徹頭徹尾役立たずで、存在価値はプラスでもマイナスでもなくぴったりゼロである。毒にも薬にもならないとはこのことで、煮ても焼いてもえないから当に始末が悪い。そしてはてなブックマークは、バカを可視化させると同時に、頭の良い人を目立たせないというシステムがある。そこまでは良い。そこまでは現実の世界をそっくりそのまま写し取ったようなものでもあるからだ。しかしはての一番質が悪いところは、数としては一番少ないはずのうす

    atawi
    atawi 2008/10/31
    disやヲチへのブロガーとしてのカウンターに、こういう態度はありだなー。/id:kaitosterさんの「うすらバカゲロウ」がツボったのでタグ追加
  • 芸大に受かる受験絵の描き方 - ハックルベリーに会いに行く

    はじめにもうそろそろ11月になるけれども、受験勉強もこれからがいよいよ佳境というところだろう。そしてそれは、美大の受験生にとっても同じはずだ。美大の受験生にとっては、これからの数ヶ月間の過ごし方が当にだいじになってくる。 ただし絵というのは(特に受験に必要な「受験絵」は)、普通の勉強と違って、きっかけさえ掴めれば一夜にして上手くなる。一皮むければ、一気に合格圏内に突入できる。だから、だいじなのは「そのきっかけを掴むこと」だ。それは鉄棒の逆上がりのようなもので、ある日突然できるようになる。普通の勉強のように、コツコツとした積み重ねが必ずしもだいじというわけではない。だいじなのは脱皮することなのだ。一皮むけること。そのきっかけを掴むことである。もちろん、それを掴むためには、日々のコツコツとした積み重ねも当然必要なのだけれど、それ以外にも、ちょっとした発想の転換や視野の広げ方で、突然それができ

  • 素直さと勇気は、ネガティブな感情さえも状況を前進させる大きな力と変える - ハックルベリーに会いに行く

    羨望や嫉妬といったネガティブな感情は、えてして状況をこじらせがちですが、それを素直に認め、勇気を持って表現することができれば、状況を前進させる大きな力になります。例えば、ぼくの知人にこういう状況がありました。 AくんとBくんという二人の男の子がいました。Aくんは成績優秀。一方Bくんは劣等生で、クラスの最下位です。ある時、AくんとBくんが二人で話しをする機会がありました。そこでBくんは、Aくんに「Aは成績優秀で羨ましいな。ぼくはバカだからどうしても成績が上がらない」と言いました。するとAくんは、こう答えました。「人間は誰しも得意不得意がある。BにはBにしかできないことがある。そしてBにしかできないことは、ぼくにはできない。だから、そんなBが、ぼくも羨ましいんだ」この言葉は、Bくんの胸に刺さりました。自分が羨ましいと思っていたAくんから、逆に羨ましいと言われたのです。この言葉は、Bくんにとって

  • あの内藤はどこへ行ってしまったのだろうか? - ハックルベリーに会いに行く

    ネットの世界で今でもよく見られる「うはwwwおkwwwww」という言い回しは、もともとは2ちゃんねるのFFXIのネタを主に扱っていたネトゲ実況掲示板(通称ネ実)から2ちゃんねる全体に広まって、そこからさらにネット世界全体に広まったらしい。それ以前は、FFXIの中で、あるいはそれ以前のネットゲームのごくごく一部の者のあいだでのみ使われていたマイナーなスラングに過ぎなかった。 その頃のネ実には、そうしたスラングを生み出し、また広めるだけの大きな力があった。当時のネ実には魔力があった。そこにはとてつもない吸引力があり、面白いやつがどんどん集まってきた。そうして、その面白いやつらがどんどんと新しい文化を生み出し、新しい面白さを生みだしていった。いわゆる「ブロントさん」を生み出したのもネ実であるが、ブロントさんほど広まりはしなかったものの、それ以上に強力な「内藤」という概念をも生み出していた。 「内

    atawi
    atawi 2008/10/20
    ぽこたんインしたお!/内藤はいるよ…あなたの心の中に/具体性を帯びていたキャラがいつしか概念になって、様々なエピソードを付加しながら一人歩きするのは、近頃の同人界隈そのものだなぁと思う
  • はてなの世界も奥が深いと思わされた3つのブックマークコメント - ハックルベリーに会いに行く

    はてなブックマークコメントを見ていて驚いたことを3つほど。 まずは、少し前にこういう記事を書いた。時代の谷間に咲いた徒花のようなゲームがあったこれに対して、こんなブックマークコメントを頂いた。kohedonian FFの話が2段目に持ってきてないとMM・・・何?な人は読むの止めると思う。はてなブックマーク - どに印 / 2008年10月14日このコメントには、大いに気付かされるものがあった。そうなのだ。この記事は、まさにこのkohedonianさんが述べる意味で弱かったのである。はてなブックマークコメントには、なぜか記事の細部や各論への言及が多い。おかげで、意識はどうしてもそちらに向かいがちになり、結果、重箱の隅をつつくような益のない議論に終始することがほとんどである。しかしその中にあって、kohedonianさんは珍しく、広い視野から大局的な評価をしてくれた。おかげで、自分自身でも気付

    atawi
    atawi 2008/10/17
    はてな村は今日も平和
  • 自殺を止めようとすることこそが傲慢だ - ハックルベリーに会いに行く

    生き方のtipsの一つとして、「自殺を止めようとすることこそが傲慢だ」という視点を持つことがだいじだ。そうした視点を持つことによって、自殺にまつわる感情のねじれは驚くほどに解きほぐされる。まず止めようとする側。自殺を止めようとすることを「良くないこと」だと感じるから、自殺を止めなくなる。それでよしんば自殺されても、後悔しなくなる。仕方ないと思うようになる。一方止められる側。最初は、相手に止めてもらえないことに不満を感じるだろう。けれども、その理由が「自殺を止めるのは傲慢だ」という彼の信念の欲するところによることを知れば、絶望の度合いは薄くなる。少なくとも見捨てられたわけではない、というのは、気持ちをだいぶ楽にしてくれる。 自殺というのは、してもいいけどしてはいけないことだ。そうして、世の中のほとんどのことは、してもいいけどしてはいけないことである。多くの人は、そこのところを経験的に、ほとん

    atawi
    atawi 2008/10/16
  • Hくんが府中で体験したリアル逆転裁判 - ハックルベリーに会いに行く

    知り合いのHくんの話。Hくんは駐禁に駐禁を重ねるチュウキニストで、免停の前歴が過去2回を数えるまでになった。この状態だともうあと2点でも失えばすぐまた免停で、しかも今度は3回目だからいきなり免停3ヶ月をらうというような崖っぷちの状態に陥った。そうなって初めてHくんも反省した。これから1年間はもう違反はしないでとにかく堪え忍ぼうと(1年間無事故無違反だと過去の免停は勘案されなくなる)、いつでもそろりそろりとおっかなびっくり運転していた。ところが、それは前の免停明けから8ヶ月ほどが経過した冬の真っ直中の2月半ば、走っていた中央高速を高井戸で降りた道と甲州街道とが合流する陸橋の頂上付近で、後ろから追跡してきた白バイにスピード違反を見咎められ、あわれにも23キロオーバーで捕まってしまい、2点減点で三度免許停止処分をらってしまったのである。 ※この先の陸橋の頂上付近で捕まったのだそうです。 大き

    atawi
    atawi 2008/10/03
    ガス抜きなのか騙されてるのか微妙なとこだけどねぇ。まぁ感情が正当に量られるわけでないことを踏まえたら、どっちもどっちかねぇ…。
  • Pくんがギャンブルで得たものと失ったもの - ハックルベリーに会いに行く

    友人Pくんの話。Pくんはまじめな高校生だった。高校までは勉強にクラブにとても忙しい毎日を送っており、受験勉強も頑張った。おかげでストレートで大学に合格することができた。さて、そうして大学に入ったわけなのだが、そこで驚いた。そこではありあまるほどの自由と時間があったからだ。自由はまず大学の新歓コンパで感じた。みんなで居酒屋に行ったのが、教授がいるにも関わらず、未成年者の自分がビールを一気飲みさせられたのだ。そんなこと、高校ではあり得なかった。酒など飲もうものなら軽く停学だし、二度くり返せば退学だ。Pくんは校則のとても厳しい学校の出だったのだ。それでPくんは、ああ大学とはなんと自由なところだと感じだ。校則どころか法律もへったくれもない感じだった。もう一つ感じたのは時間だ。大学では、なんと授業を上手くやりくりすれば週休3日は確保できた。これまで土日もなく暮らしてきたPくんにとってそれは衝撃だった

    atawi
    atawi 2008/09/29
  • テキストに知性があるかないかを見分ける10のポイント - ハックルベリーに会いに行く

    面白いとは何だろう?「知識」のプライオリティは下がっている町山智浩さんのブログを読んでいたら、興味深い一節に突き当たった。 オイラはものをあまりよく知らない。昔はそれを恥ずかしく思っていたし、よくバカにされてきた。でも、今はなんとも思わない。なぜなら、ネットの時代、知識は誰でも簡単に拾えるようになったので、知識そのものに価値がなくなったからだ。いや、それは言い方が違うな。当に物知りなのか、ネットで拾っただけの知識なのか見分けることが困難になったからだ。ちょこちょこっと検索して、それを散りばめれば物知りに見える文章は作れる。「鎮」という漢字が読めない知ったかぶり「雑学王」 - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 なるほどこれは確かにそうかも知れない。インターネットやIT機器の発達で、情報というものはこれまでと比べて格段と調べやすく、また引き出しやすい環境になった。だから、以前のようにそれを

  • いつか生け贄にされてしまう人 - ハックルベリーに会いに行く

    時々生け贄にされるために生まれてきたかのような人を見る。そういう人を見るといつも思い出すのは、昔ジャイアンツにいた野村貴仁だ。野村貴仁は、ジャイアンツにいた1999年に、ヤクルトのロベルト・ペタジーニから、それをきっかけに結果的に優勝を逃すことになるあまりにも印象的なサヨナラホームランを打たれている。この時、ヤクルトの監督だった若松勉は、ペタジーニのホームランの見事さに感激して、このような言葉を残している。「あいつはホームランを打つために生まれてきた男だ!」しかしぼくは、この言葉の裏に潜む皮肉について苦笑せざるを得なかった。もしペタジーニが「ホームランを打つために生まれてきた男」であるというなら、打たれた野村はさしずめ「ホームランを打たれるために生まれてきた男」ではないか。そして実際、野村というピッチャーにはそうした悲劇的(喜劇的)な側面がいつもつきまとっていた(数年後、覚醒剤を使用したか

    atawi
    atawi 2008/09/20
    ペタジーニを久々に思い出したブクマ
  • 「コレが「絵の上手い漫画家ランキング」の完全版です。」という記事についてのいくつかの考察 - ハックルベリーに会いに行く

    まずこのエントリーがあった。SUKEBENINGENSUKEBENINGEN コレが「絵の上手い漫画ランキング」の完全版です。 ところで、「魅力とは何か?」いうものを突き詰めていくと、「ベクトルの違うものを並べても、それを比較することができる」ということが分かるようになる。sukebeningen氏の上記のエントリーも、そうした文脈の上に則っている。これは、ある程度「表現すること」というものを突き詰めた人にとっては、実は自明の理なのだ。関連兵隊さんの位でいうと 但しそれは、見つけた人にとってはちょっとした発見でもある。と言うのも、たいてい大人になる過程で、「ベクトルの違うものは比較ができない」という錯覚に陥るからだ。たいてい、みんな一度はその錯覚を信じ込むようになる。そういう錯覚を信じ込まなかったのは、山下清のようなある種永遠の子供を生きたような人だけだ。それが、大人になって「魅力とは

  • 「フルメタル・ジャケット」は世界最高の映画だ - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくは「フルメタル・ジャケット」が好きだ。好きであるだけでなく、これはスタンリー・キューブリックの最高傑作でもあると思う。理由は特にないが、ぼくの感性がそう叫ばせるのだ。あとワイルダー監督もそう言ってた。この映画、前半だけならおそらく映画史上最高の傑作だろうと。そんなわけで、「フルメタル・ジャケット」のどこが素晴らしいのか、見ておくべきシーンを10個あげて、「フルメタル・ジャケット」を見たことがある人にもない人にも、そのすごさを分かるように解説したいと思う。 1.「冒頭の髪の毛をカットするシーンがすごい」映画の冒頭、海兵隊の訓練所に入った生徒たちが頭を丸刈りにするシーンがあるのだけれど、よく考えると、役者たちはみんなこのシーンのために髪を伸ばしてたのだ。そしてこの映画のために頭を丸刈りにした。それがすごい。こういうイニシエーションを通過することによって、役者一人一人にとってのこの映画

  • 映画の見方における「正解」について - ハックルベリーに会いに行く

    とある「崖の上のポニョ」に関する記事の中に、こういう記述がありました。「批評」を、算数ドリルの答え合わせのような、どこかに確たる「正解」があって、自分はそれを知っているかのように作品を「採点」することだと思っている人が多すぎやしないでしょうか。みんなが知っているような「正解」とは違う、自分には思いもよらなかったような新しい答え方を、作品の中に発見する営みのことを批評と呼んだ方が、僕はいいと思います。どきどきのような!ふしぎのような!−「崖の上のポニョ」について− - 宮大人のミヤモメモ これについて、ぼくの思っていることを述べます。 まず、映画の見方について、ぼくの考える映画の見方の「正解」というのは、「どう解釈するか?」ということの中にはありません。「崖の上のポニョ」をどう解釈しようと、それは自由だと思います。その映画の解釈に、一つの絶対的な「正解」があるわけではない。ポニョを可愛いと

    atawi
    atawi 2008/08/20
    自分の視点のみじゃ気がつけないことがあるから、他人の評やメタ視点とか、構造から外れる面白さがあると思うけど。虚心坦懐もそりゃ大事だけどね。何がしか自分にフィードバックがあればみんな正解じゃね?