大阪市立桜宮高校で起こった体罰事件を巡り、嫌な予感が的中したのが橋下大阪市長の政治ショーだった。 体罰容認論者の氏は、自身が行政の長であるにも関わらず行政機関の不祥事とわめきたて、入試を止めろ教師を全入れ替えだ言うことを聞かなければ予算凍結だとやりだした。体罰を無くす目的と手段の不一致による違和感、在校生卒業生保護者の置いてきぼり感が甚だしい。 大衆迎合型論調を磨くのに余念がないマスコミ各紙も、さすがに今回は一部批判めいたことを書いていた気がする。しかし何とも手緩い。氏への批判が、大勢「これで体罰が無くなるか/無くならないか」の次元に終始している。そうではなく、法の理念をねじ曲げ、民主主義の手続や既成の意思決定機関を軽視し、(法が予定しない)認可や予算執行への口出しをもって、既存の秩序や予定調和を乱暴に破壊していること、これこそに及ぶべきだ。これは大阪で幾度となく繰り広げられ、数多の犠牲者