安倍元総理の国葬をめぐり、チベット亡命政府の首相の参列を政府側が断っていたと関係者が明らかにしました。現在、日本を訪れているチベット亡命政府のペンパ・ツェリン首相は、きょう安倍元総理の事務所を訪ね、…
安倍元総理の国葬をめぐり、チベット亡命政府の首相の参列を政府側が断っていたと関係者が明らかにしました。現在、日本を訪れているチベット亡命政府のペンパ・ツェリン首相は、きょう安倍元総理の事務所を訪ね、…
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のアリヤ代表は、日本の安倍晋三元首相を始め、日本・チベット議員連盟の下村博文会長と長尾たかし事務局長と面会し、チベット亡命政権のペンパ・ツェリン新主席大臣からのご挨拶と御礼の書簡を渡しました。 書簡の中で主席大臣は、安倍氏が首相としてチベット問題を提起されると共に、チベットにおける酷い人権侵害に対する中国の責任を問う絶え間のないご尽力に対して感謝の意を伝えました。 主席大臣は「チベット問題に対する長きにわたるご支援に対しまして、深甚なる感謝の意を表します。チベット問題に対する皆様のお立場は、真実、正義そして自由に対する責任を強化するとともに、模範となっています。」 「さらに、安倍首相の努力は、100名もの超党派の国会議員からなる世界最大の議会支援グループである『日本・チベット国会議員連盟』の設立に寄与されたように、チベット問題に対する支援について他の多くの政
62年前の今日、ラサの何千ものチベット人が共産中国の支配に抗議し、一斉に蜂起しました。中央チベット政権は、本日ここに犠牲になられた方々を思い起こし、その勇気を称えたいと思います。また、今も圧政下にあるチベット本土の人々にも思いを馳せたいと思います。私たちの祈りと思いは彼らと共にあり、引き続き、連帯感を持って立ち上がり続ける所存です。 1959年3月10日、ダライ・ラマ法王14世は、ラサの中国軍司令本部で催されるという演劇に招待されていました。その前日、中国側は法王に護衛兵を連れてこないよう求めました。この話が市民の耳に届くと、法王を守るために何千というチベット人が集まり、人間の鎖となってノルブリンカ宮殿を取り囲みました。その7日後、近くの中国軍野営地から発射された2発の迫撃砲弾がノルブリンカ宮殿の北門の外側に落ち、法王はその夜のうちに余儀なく宮殿を離れることとなりました。そして3月20日の
去る10月24日、アリヤ・ツェワン・ギャルポ氏がルントック氏より正式にダライ・ラマ日本・東アジア代表部事務所の代表職を引き継いだ。交代に際しては西蔵ツェワン氏が証人として立ち合ったほか、チベット亡命政権情報・国際関係省のカルマ・チョイン事務官がダラムサラよりバーチャルに議事進行役を務めた。 西蔵氏は新旧の代表交代式が円滑に進捗したことを事務官に報告したほか、長年にわたるルントック前代表の功績に感謝し、新代表となったアリヤ氏に歓迎を意を示した。 また、10月28日、新旧代表は安倍晋三前首相を表敬訪問し、チベット問題について意見交換を行った。安倍氏はダライ・ラマ法王の健康について尋ねたほか、チベット問題の平和的解決を支持すると述べ、新旧代表が新たな職務で成功するよう祈った。また同席した日本チベット国会議員連盟の長尾たかし事務局長も、ルントック前代表に感謝し、アリヤ新代表を歓迎した。
7月6日に執行されたオウム真理教の元教祖・麻原彰晃(本名、松本智津夫)らの死刑は、中国でも大きく報じられた。かつて、地下鉄サリン事件が世界に与えたインパクトは強烈だ。 現代の中国の地下鉄では手荷物のX線検査が義務付けられ、ペットボトルの液体を目の前で飲まないと検査を通してくれないことすらあるが、こうした過剰警備の一因にもオウムの都市型テロの歴史が影を落としていると思われる。 ところで、往年のオウムは世界の多くの国家と関係があった。なかでも有名なのはロシアとの縁だ。オウムはソ連崩壊翌年の1992年9月にモスクワ支部を開設し、同国内で万単位の信者を獲得したほか、自動小銃や軍用ヘリを購入していた。ほか、村井秀夫幹部刺殺事件など複数の事件では北朝鮮との関係も噂されている(もっとも、オウムの対北関係はいまや多くが藪の中だ)。 いっぽう、同じ共産圏の隣国にもかかわらずスルーされがちなのが中国だ。今回の
野原燐 「元次官が役所の記念品の包丁で息子を手にかけるまでの苦悶の日々。」ほとんど同情しない イヤー、「殺人罪が裁かれるのは当然」として同情くらいしたらどうなんですかね?(勿論同情すると言うことは殺人を正当化することでもなければ、殺された子どもを「殺されて当然のクズ」と否定的に評価することでもない)。 「引きこもりで家庭内暴力」なんてのは精神的におかしくなっても仕方ないでしょう。誰も好きで子どもをそんな人間に育てたかったわけじゃないですし、ましてや好きで殺したわけでもないでしょう。本当に野原のようなバカは「自分が同じ立場になったら」つう想像力が無いようで呆れます。 ちなみに俺が「オウム真理教から1億円もらったあげく、オウムの犯罪が発覚しても、謝罪一つしない人間のくずダライ・ラマにはかけらも同情しない。チベットで暴動もなくなるし、あんな奴、早く死ねばいい」と書いたら「冷酷だ!」とさんざん悪口
第8回「チベット支援団体国際会議」現地レポート(3) | スーパーサンガ ・11月3日〜5日、ダラムサラ(インド)において第8回「チベット支援団体国際会議」が開催されました。参加された当会副代表・小林秀英師より、現地でのレポートが届きましたので、3回に分けてご紹介いたします。 ・法王様が標榜される「中道」について意見を述べた。 「私は長い間、中道路線では自由を獲得できないのではないか、独立を求めてこそ道が開けるのではないかと考えていた。しかし最近考え方を改めた。もしかしたら中道路線が正しいのかも知れない*1と考えるようになった。 その理由は、安濃豊*2博士の『戦勝解放論』を知ったためである。博士は、大東亜戦争開戦の日に日本政府が発表した『帝国政府声明』を重視する。そこには『戦争の目的は、東亜の解放である。』と明確に謳われている。そしてその戦争目的は達成された。戦争目的*3を達成した国が戦勝
ダライ・ラマが女性をめぐる冗談の発言に対して謝罪を表明した/MARIJAN MURAT/DPA/AFP/Getty Images (CNN) チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(83)が2日、後継者の人選を巡り、女性が後継者になる場合は「もっと魅力的でなければならない」と述べた冗談の発言について謝罪した。 問題発言は先月、英BBCとのインタビューで飛び出した。この中でダライ・ラマは、「もし女性がダライ・ラマになる場合、(その女性は)もっと魅力的でなければならない」と言って笑った。BBCによると、ダライ・ラマはこの発言に続いて顔を歪めて見せ、もし女性のダライ・ラマが特定の外見をしていた場合、「人々はその顔を見たがらないだろう」と発言したという。 ダライ・ラマは2015年にもBBCのインタビューの中で、未来のダライ・ラマは女性になるかもしれないと述べ、その場合は容姿が良くなければ「あまり役に
●難民2世 豊かさ求め流出 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(83)がインドに亡命する契機となった1959年の「チベット動乱」から今月で60年を迎えた。ダライ・ラマを慕い、安住の地を求めて中国からインドへ逃れたチベットの人々は故郷に帰る日を心待ちにするが、先行きは見えない。中国政府の締め付けが強まる中、新たな亡命者は減り、第三国へ移住する若者が続出するなど、亡命チベット社会は先細り感が強まっている。 (ダラムサラ本紙取材班) 山の斜面に張り付くように建物が広がる。宿泊施設や露店が並ぶ坂道には法衣姿のチベット僧が行き交う。インド北部のダラムサラはダライ・ラマが住む亡命政府の拠点だ。 「ここではダライ・ラマ法王の写真を飾っても捕まらない。不安がないよ」。中心街の露店でアクセサリーを売るカンチェン・ドルマさん(53)は顔をほころばせた。中国政府はダライ・ラマを中国からの独立を目指す「分
第一部「兄・ロディ・ギャリの闘い」ペマ・ギャルポ(協議会会長)報告 3月10日、東京四ツ谷の会議室にて、アジア自由民主連帯協議会主催「チベット決起60周年記念講演会」が開催され、約40名の参加者でほぼ会場は満員となりました。本日は浅草でチベットデモも行われ、そこからの参加者も多くおられたようでした。 まず、この講演会に、杉田水脈衆議院議員から以下のメッセージが寄せられましたので紹介させていただきます。当協議会は特定の政党や政治家を支持するものではありませんが、このようにアジアの自由と民族自決の問題に関心を持ってくださる政治家がおられることは大変ありがたいことです。 「チベット決起60周年記念講演会が開催されるにあたり、活動に帆尽力されておられます皆様に心から敬意と感謝を申し上げます。 民族自決と、平和で安心して暮らすことを目指すことの、どこに問題があるというのでしょう。遠いよその国の私たち
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欧米で活躍する亡命チベット人のポップ歌手の動画を見るテンジン・シェラプさん=インド北部ダラムサラで2019年3月9日、松井聡撮影 【ダラムサラ(インド北部)松井聡】チベット住民が中国の弾圧に抗議して武力衝突した「チベット動乱」を受け、インドに脱出したチベット亡命政府(インド北部ダラムサラ)の発足から今年で60年。亡命チベット人はインドを中心に約15万人いるとされ、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が亡命社会の求心力となってきた。だが83歳と高齢で、後継者が同様の求心力を保てるかは見通せない。また経済的な豊かさを求めてインドから欧米を目指す若者も増えており、亡命社会は岐路に立たされている。 斜面を覆う街並み。背後には雪山がそびえる。インド北部ダラムサラ。世界中の信徒がダライ・ラマに謁見するためこの地を目指す。だが今、14世の後継者が亡命社会を統合できるか不安視する声が出ている。
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世がチベットからインドに亡命するきっかけとなったチベット動乱の民族蜂起から10日で60年。ダライ・ラマを追って多くのチベット人がインドに渡ったが、中国政府が統制を強めるなか脱出者が減っている。終わりが見えない難民生活も文化や言語の伝承に影を落としている。(バイラクッペ=奈良部健) ヤシの林を歩くサフラン色と赤の法衣をまとった僧侶に強い日差しが照りつけていた。インド南部バイラクッペ。インド最大のチベット難民居住地で約1万4千人が暮らす。 難民によって運営されている寄宿学校を訪ねると、ダライ・ラマの写真が飾られた教室で中学2年の子どもたちがチベット仏教の「思いやり」の考え方について議論していた。 ツェリン・パルデン事務長(65)によると、学校には4~18歳の子どもが通う。9割の子がチベットに暮らす親の元を離れ、ネパール経由でここにやってきて寮生活を送る。
大阪で開催されたチベット問題についての講演会において、「中国を理解するために、まずチベットを理解してください」、とチベット亡命政権ロブサン・センゲ主席大臣は述べた。 「最近、中国はインフラ建設、娯楽施設の提供、外国首脳との協力を通じて勢力を拡大しています。それは、チベット侵攻の前、そして侵攻の最中に行われたのと同じやり方です。 チベットで起きたことが皆さんにも起きるでしょう。中国はまずチベットで道路を作り、鉱物などの天然資源を搾取し、森林を伐採しました。そしていま、同じ戦略をアジア・アフリカ諸国で繰り返しています。ですから、中国がどこに触手を伸ばしつつあるのか、チベットで何が起きたのか、今、チベットでどのような政策が行われているのかを知ることは世界の国々にとってきわめて重要です。中国を理解するには、チベットを理解しなければなりません」、とチベット支援グループ「雪の下の炎の会」主催の講演会の
スウェーデン南部マルメで、報道陣を前に語るチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(2018年9月12日撮影)。(c)Johan NILSSON / TT News Agency / AFP 【9月13日 AFP】チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世(83)は12日、スウェーデン南部マルメ(Malmo)で法話を行い、「欧州は欧州人のもの」であり、難民は帰郷して母国再建に尽くすべきだという見方を示した。 スウェーデンは2015年、亡命希望者数を人口で割った比率が欧州で最高となった。法話が行われた同国第3の都市マルメにも、大勢の移民が暮らしている。 ダライ・ラマは、欧州には「現に命の危険にさらされている難民」を支援する「道義上の責任」があるとして、「受け入れ、助け、教育しなさい」と促す一方、難民らは「最終的には母国を発展させなければならない」と説いた。 さらに、
■高村光太郎「琉球決戦」を今日6月23日に紹介します(三浦の個人ブログ) http://miura.trycomp.net/?p=4715 ・6月23日とは沖縄の日本軍最高幹部・牛島満(第32軍司令官)と長勇(第32軍参謀長)が自決し「日本軍の組織的戦闘が終了した日」です。ただし戦争自体は終結していません。むしろ牛島らが降伏せずに無責任に自分らだけ自決したことで残された人間は困った立場に置かれることになります。 牛島らの態度「降伏もせず自分たちだけ自決」は彼らがどう言い訳しようとも集団自決強要など沖縄の悲劇を助長した愚挙でした。 ・なお小生は読んでいないのですが沖縄戦やそれをめぐる教科書問題についての定評ある著書として ・林博史*1『沖縄戦と民衆』(2001年、大月書店)、『沖縄戦:強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大
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