先日、友人がこんな経験を話していた。 「日本の保育園に通っていた頃、自分だけ朝鮮の名前なのがいやだった。みんながいる前で先生に名前を呼ばれるたびに、恥ずかしくて仕方なかった」 似たような話は他にもよく耳にする。私も朝鮮の幼稚園ではなく日本の保育園に通っていたので、こんな話を聞いたときは、自身の保育園時代を振り返ってみる。といっても、保育園の記憶はまだらで、途切れ途切れ印象的なシーンだけが浮かぶ。それでもはっきり言えるのは、自分が「朝鮮人」だと認識していたことと、それが嬉しかったということだ。 嬉しかった理由も、とても単純。 当時の私は、すべてにおいて、「自分が主人公なんだ」と思い込んでいた。自分だけ日本人でないことは、「自分は特別なんだ!」ということの証拠のようなもので、「朝鮮人」というものに対して過剰にプライドがあったわけでもなんでもない。 周囲との違いを自然とポジティブに捉えられたこと