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ブックマーク / crowserpent.hatenablog.com (6)

  • 天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか? - 烏蛇ノート

    衆議院選挙を間近に控えて、自民党の憲法改正案が話題になっています。 その中で、自民党の参議院議員片山さつき氏の次の発言が特に問題になりました。 国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました! 片山さつき on Twitter これに対し、「天賦人権論の否定なんて言語道断だ」という反応がある一方で、「天賦人権論なんておかしい、片山議員は正しい」という反論も複数出てきました。Twitter上での議論は既にかなりの量に上っています。以下のリストは私の目に付いたTogetterによる議論まとめを列挙したものですが、全部を網羅できてはいません。 自民党が公式に国民の基的人権を否定し、さらに改憲案で日

    天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか? - 烏蛇ノート
    came8244
    came8244 2012/12/13
  • 「意味の変容の場」としての「非モテ」 - 烏蛇ノート

    過去の「非モテ」という言葉のネット上での変遷については、以前「『非モテ』の変質と電波男」で述べた通りなんですが、今回はこれを「現在の『非モテ』の意味」と重ね合わせながら改めて見ていきたいと思います。 まずは、件の記事での「非モテ」の説明を再掲しておきます。 「非モテ」という用語はもともとはお笑いネタ系のテキストサイトにおける「芸風」の一つでした。それがどんなものだったかは、クリスマス殲滅委員会(1999年)などにその片鱗を見ることができます。 当時の「非モテ系」は、「自分がいかにモテないか、女性に嫌われているか」を面白おかしくネタにするという「自虐芸」だったんです。このような芸風が成立するためには、「クリスマスにネット見てるような輩は(自分のように)モテない男ばかり」という暗黙の前提を、演じる側も見る側も共有していることが必要でした。 非モテ系とは「ネガティブを装うというお約束」であって、

    「意味の変容の場」としての「非モテ」 - 烏蛇ノート
    came8244
    came8244 2007/08/08
  • 惚れたが悪い - 烏蛇ノート

    今回ははてな匿名ダイアリーのこちらの記事から。 俺と話す時はすごいうれしそうな顔してて しばらく会わなかったらメールで「ねえ、私のこと覚えてる?忘れてないの?」 とか送ってきやがって 「彼氏にしたい人は家族みたいにいっしょにいて落ち着ける人」とか言いやがって それでこれは99%大丈夫として告白したら 「他に好きな人がいるの」だと。「君の事は大事な友達のつもりだった」だと。 この記事には100件を超えるはてなブックマークが付けられ、それらの大部分がこの相手の女性を非難する論調のものでした。もしこれが「非モテ」の総意なのだとすれば、個人的には何とも暗な気分にさせられます。 (※ この部分について追記しました。) この記事に関連する発言の中で、唯一完全に同意できたのがjituzon氏の記事でした。 勝手に99%いけると思い込んで告白してんじゃねーよ。いや、まあ告白するのはいいとして失恋は失恋と

    惚れたが悪い - 烏蛇ノート
    came8244
    came8244 2007/01/17
    男が恋愛で被害者ぶるのは離婚訴訟・痴漢冤罪と社会で加害者意識を押し付けられているからじゃね。仕事するなら男性優位な社会だけど、私生活では女性優位(常にお客様)な現実。
  • 「非モテ」団結の功罪 - 烏蛇ノート

    前回の話と関連して、草実スサ氏の突っ込みに答えておきます。先日行われた革命的非モテ同盟のクリスマス粉砕イベントについて。 どう見てもネタですよね マジだというのであれば、せめて池袋の腐女子と連帯しないとダメじゃなかろうか。 革非同なんて「非モテ男はシャレになるけど非モテ女はシャレにならない」って構造を(意図的でなくとも)再生産してるようなものなんだから、烏蛇さんからしたら(私からしても)、批判すべきものだと思いますけど。 最初に言っておくと、「池袋の腐女子と連帯せよ」などという提言はお話になりません(草実氏も気で言っておられるわけではないでしょうが)。もちろんそういう企画を立てるのもアリだと思いますが、そもそも「こうすべき」という方向性が誤っています。 まず、基的にインターネット上のコミュニティである「非モテ」にとって、オフ会によるイベントがどのような意味を持つか、を考える必要がありま

    「非モテ」団結の功罪 - 烏蛇ノート
  • 「非モテ」の敵は「恋愛」に非ず - 烏蛇ノート

    田透の「電波男」以来、「恋愛至上主義」ないし「恋愛主義」こそが「非モテ」の根問題である、という認識が「非モテ」議論の暗黙の前提とされるようになりました。「革命的非モテ同盟」の古澤克大氏もまた、そうした「恋愛至上主義」を最大の問題の一つと考える「非モテ」論者の一人です。 今回は、この「恋愛至上主義」の実体とは何か、を考えつつ、古澤氏を初めとする多くの「非モテ」論者が陥っている「落とし穴」について述べていきたいと思います。 「非モテを苦しめているのは恋愛至上主義である」 という主張に対しては、古典的かつそれなりに有効な反論として 「世間は非モテ達が言うほど『恋愛』一辺倒ではない」「恋愛至上主義に陥っているのは実は非モテ自身である」 というものがあります。Paris713氏やまりねこ氏、ナツ氏の議論はこうした「反論」の典型的なものです。 これらの指摘は、ある面では全く以て正しい議論です。

    「非モテ」の敵は「恋愛」に非ず - 烏蛇ノート
  • 非モテ男よ、奢るべからず - 烏蛇ノート

    しばらく放置しててすみません。前回の記事はまた別の形でまとめますが、その前に別の話を。 瀧澤氏のこちらの記事で提示されている、「事の際、男が女に奢るという慣習」に対する疑義についてです。 まず、瀧澤氏の主張は、 「奢られ慣れていない女性にとって、奢られることは心理的圧力にもなりうる」 「『男が女に奢る』を当然とみなすことで得をするのは、奢られ慣れている女性だけだ」 というもので、私もこれにほぼ全面的に賛同します。 しかし、これに対し、コメント欄でsho_ta氏から次のような反論が述べられました。 で、「原則ルールはあったほうがいい」派の私としては、「割り勘」、「女が払う」、「男が払う」の三択であるならば、「男が払う」が一番無難だと思うわけですよ。理由は簡単で、男が誘うケースのほうが事例として圧倒的に多く、かつそのほうが男(特に非モテ童貞)が女を誘いやすいからです。 さらにこれに対し、rA

    非モテ男よ、奢るべからず - 烏蛇ノート
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