日記_2024.8.29 鞍馬と貴船 29日は鞍馬と貴船に行ってきました。こんな天気でバイクは無理、でも引きこもるのも嫌なので前々から行きたかった鞍馬と貴船に行くことにしました。ただ、いつ大雨が降っても全くおかしくないので天気がヤバそうなら帰ることにします。普通に日帰りできる距離ですから…
機関銃が世の中に登場して、それはもちろん極めて効率的な道具だったから、 すぐに戦争で用いられるようになった。 異民族との戦争では、機関銃は、時に100倍もの戦力差を跳ね返す活躍を見せたから、 現場の兵士はその武器を大歓迎して、それでもなお、将官の人達は、機関銃の価値を認めようとしなかったのだという。 兵士が一列横隊で銃剣突撃して、騎兵隊が戦場最強の部隊だった時代。 戦争教則は、銃剣と騎兵とを最大に生かすように理論が組まれて、磨き上げられた理論を捨てるのは もったいないから、将軍は機関銃を捨てた。 それはたしかに「異民族」との戦いで活躍したかもしれないけれど、「人間同士」の戦いは、 あくまでもライフルと、銃剣突撃とで決着がつくものだから、そこに機関銃の出番はないのだと。 本当の戦争が始まって、ドイツが機関銃を採用して、横一文字に並んだ騎兵、「正しい戦場」での 最強部隊が、機関銃陣地に殺到した
文字通り世界規模の盗撮犯罪であるGoogleストリートビュー問題。 それを正当化するGoogle社の詭弁たるや、まさに失笑ものなのだが、毎日新聞の名前を挙げるまでもなく既存マスコミがそろってインターネット嫌いだということから、一般ニュースではまったくと言っていいほど無視されている。 オマケに都合の良いことに、ちょうどオリンピックの真っ最中で、なおかつグルジア・ロシア戦争まで起きているのだから、この問題をマスコミが「無視」する大義名分は硬軟ともに十分保証されているというわけだ。 高木浩光@自宅の日記 - 通信プラットフォーム研究会 傍聴録 (Google社の発言あり) http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20080810.html#p01 グーグル(藤田一夫オブザーバー) 大変ありがとうございました。事務局の資料はすばらしい内容で、ぜひ実行して頂きたい。民民でや
精神分析の成果とは id:naoya_fujita :精神分析(ラカン)的主体というのがあるとします。パノプティコン(一望監視)から見られる視点を内面化した主体ですね。しかし精神分析はもうほとんど終わってしまった。心療内科は精神分析なんてしない。薬の処方、終了、みたいになっている。つまり、言葉のやりとりで心の中身を治すというアプローチは採られなくなっているわけですよね。これはおそらく脳科学・心理学ブームと、逆に批評の凋落と関係があると思いますけど。対話しないのだから、近代的主体にならず、ドラッグで、動物化する。そんな感じですよね。その辺、どう考えていますか? 薬の開発が進んで即効的に楽になる。医者、患者ともに楽だから処方する、ということでしょう。しかしそれで問題が解決したわけでもなんでもない。だからそれは精神分析とは関係がないと思います。 精神分析は精神分析でもともと問題を抱えている。そも
<環境-調和図式> 以前から環境と人の関係を考慮したわかりやすい図式が必要だと考えていました。それで、<環境ー調和図式>を考案してみました。横軸は環境で人間が重視されているか、縦軸は環境が人間と調和しているか、を表します。 A.<強制>領域・・・人が環境に<強制>される関係 <強制>の領域は、先に環境があり、強制的に人がはめ込まれていく状況です。 交通環境でいえば道がない状況です。そこでは人は環境からの妨害を避けるように歩いて行かなければなりません。 B.<訓練>領域・・・人が環境を<訓練>する関係 <訓練>の領域は環境が先にあり人がはめ込まれるわけですが、<強制>と異なるのは人は訓練することによって環境に対応します。そして訓練が多く反復されることで環境からの強制があることは忘れられ、環境と調和状態になります。それが習慣です。 交通環境でいえば道がある状況です。道を使用するにはルールがあり
配置の<固さ> ボクにとっての配置(ディスポジション)とは、訓練によって習慣化された身体と客体の関係である。その間に何らかの言語記号は介在せずに、ただ当たり前のように配置されて、身体が従うものである。このような当たり前さを配置の<固さ>と呼ぼう。 道を歩くとき、配置としての道はもはやそれがどのようなものであるかと考えずにただ歩いている。そのときに歩くという行為はその道の配置(ディスポジション)に従っているのだ。たとえば泥道、舗装道、雪道などでは人は「気がつかずに」にそれぞれ歩き方を変えている。しかし習慣化された歩き方は、そう簡単にはかえられないために、都会人が雪道を歩くと転びやすいことが起こる。彼も訓練してなれれば、雪道という配置(ディスポジション)に合わせた歩き方をする。それは、最初は意図的であっても習慣化すれば「気がつかない」ものとなる。それは暗黙知(身体知)である。 インフラストラク
MIYADAI.com Blog (Archive) > 公共機関のために準備中の文章です。誤りのご指摘などお待ちします。第2部【上の第1部に続きます】 « 某全国紙に掲載されるはずだった秋葉原通り魔事件のコメント | 公共機関のために準備中の文章です。誤りのご指摘やご意見をお待ちします。第1部 » ◯ ■1960年代後半に、先進各国で次々に反体制運動(異議申し立て運動)ないし大学紛争(学園闘争)が起こった。異議申し立ての主題は、ベトナム戦争だったり大学管理体制だったり授業料値上げだったりと一国内でも多様だったが、この多様性がこれらの闘争の共通性を逆に示唆していた。一口でいえば、実存的ないし実存主義的だったのである。 ■1966年に新聞上で戦われたミシェル・フーコーとジャン・ポール・サルトルの論争に、構図の一端を見出せる。サルトルが意味の獲得に向けて投企する主体の自由を賞揚するのに対し、フ
レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります ウルルン滞在記だったか、レポーターが未開の地を訪れるテレビ番組で、 ジャングルで昔ながらの狩猟生活をする人たちが取材されてた。 族長の住居には電話線が引かれていて、族長は電子メールで「注文」を受けていた。 おそらく「通信」というのは、かなり昔から人類が共通に持っていた発想であって、 それが文字や狼煙みたいなものであっても、インターネットみたいな ものであっても、それが「通信」という考えかたの延長線上に乗っている限り、 適応するのは案外簡単なのかもしれない。 番組の中では、族長は電子メールを使っていたけれど、 その人がたとえばAmazon の通信販売を利用できたりするのかどうか、 ぜひとも見てみたかった。 電子メールによる情報交換と、ネット世界
2008年01月29日16:00 カテゴリLightweight Languages 「PHPなめんな」と「(Perl|Python|Ruby)をなめんな」の違い Matzさんの意見に、想定内の反応が返って来ている。 Matzにっき(2008-01-26) - [言語] Attacking PHP PHPがいかに駄目な言語か、という話。 どの言語で書いてもおかしなコードを書く奴は書く。perlでもjavaでもrubyでも、どの言語で書いてもSQLインジェクションやらXSS脆弱性やらを作りこむ奴は作りこむ。ただそれだけの話というか、別な話だろう。 両方とも事実だし、foo言語のuserがbar言語がいかに駄目かを語るというのは有史以前(コンピューター言語以前に自然言語でもある)からの話題なのだが、しかし"PHP sucks"には他とかなり異なる点が一つあるように見受けられる。 それは、PHP
maname 萌え理論Blogがいつの間にか会社で有害サイト認定になってて見れなかったorz http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20071122/p1 というわけで、さっそく調査した結果、まなめさん以外の方からも、「成人嗜好」のカテゴリに入っていて、会社で閲覧禁止になっている、という報告を頂きました。もし、はてなユーザで「俺も見れないよ」という方がいましたら、ぜひブックマークのコメントなどでお知らせください。 けんさくけっか - キッズgoo(「萌え理論」) このページは、キッズgooではひょうじしていません。 そして、この機に他の検索サイトなども調べてみましたが、どうもキッズgooでフィルタリングされているようです(上)。それも特定のページではなく、ブログ全体が見られなくなっている。さらに調べると、どうも
レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 妥協の産物と思われたやりかたが、実は最適解だったりすることは、 実世界ではたぶん、けっこう多い。 場当たり的なやりかたは、たいていの場合うまくいく。うまい具合に廻っていたのに、 誰か偉い人が「もっと正しいやりかた」を提案すると、 そのやりかたは軽快さを失って、効率が悪くなってしまう。正しいはずなのに。 「正しいやりかた」は、まずいやりかた。現場はたいてい、そのことをよく理解しているのに、 「今が一番いいんだ」ということをうまく説明できない。 「正しさ」を掲げて、最適目指して走りだした原理主義者を止めるのは、本当に難しい。 妥協の産物と真正品と ログの記録が可能なリアルタイムチャット「Linger」は、 疑似リアルタイムの「twitter」より
by William Pietri XPをこれから始めてみようと思っている人達は、開発部屋がどんな状態か興味を持っているはずです。(XPを知らない人は、この資料の後ろの方の用語集にある簡単な説明を見てください。) ここでは、5人で九ヶ月かけたプロジェクトで撮影した写真を説明していきます。 私達の顧客の機密に関わる部分は写真をぼかしてあります。 質問や、もっと良い方法などの情報は筆者まで。 概要 最初の写真では、開発部屋におけるおもな機材に番号をふってみました。自然光を取入れ、机は木製にし、高い天井の部屋を選んだことで快適な労働環境を実現しています。 写真からもわかるように、最も広い壁側にはプロジェクトに関する様々な情報が掲示されています。 顧客 写真には写っていませんが左側には顧客(Product Manager)が座ります 開発中のストーリ その週に開発するストーリが詳細記述と共に掲示さ
1 純粋贈与と、贈与と、交換 2 貨幣への負債感 3 科学技術−国家(法)−貨幣 4 貨幣交換世界の正当性 5 神々の闘争 1 純粋贈与と、贈与と、交換 幸運と神 たとえば宝くじで10億円当たってしまうと、どのような気持ちになるのだろうか。それは飛び上がるほどのうれしさであるとともに、不安になるのではないだろうか。無償で大金を贈与されることの罪悪感がともなうだろう。 このために宗教への帰属とは関係なく、漠然と神に感謝するだろう。それはこの罪悪感(負債感)を解消するために必要な返礼する他者を想定する。神へ感謝することで返礼する。あるいは慈善団体へ一部寄付することもあるだろう。また知り合いに祝儀を振る舞うだろう。 これはつゆ払いであるとともに、負債感の解消行為である。このような散財による贈与は、神=超越的な他者への返礼であり、負債感の解消である。これは迷信のようなものであるだけでなく、経済的な
非喫煙者にとってタバコの何が嫌かというと、第一に「におい」です。正直「くさい」ので、俺の前で吸うなと。よりはっきり言えば体臭や口臭もきついのでできれば俺に近づくなと。副流煙とかもっともらしいことを言っているのは、僕にしてみれば「臭いんだよお前」をオブラートに包んでいるだけ。煙はその次。歩きタバコだと炎も含まれますが。 喫煙者にとって非喫煙者はゴミなのだばりにセンセーショナルな言い方をするならば「非喫煙者にとって、喫煙者とは汚物なのだ」。 喫煙者にとって煙草が吸えない状況が生理的に我慢できないのと同様に、非喫煙者にとって煙草を吸われるのは「くさい」という生理的に我慢できないことなのだ。 ――「あなたの健康とかどうでも良いのです。ただ、においと煙が耐えられない。それだけです」 「喫煙者」と「非喫煙者」で分けて考えるのは良くないんじゃないかと。 ぼくは生まれてからこのかた一本も喫煙したことがない
2007年09月04日00:00 カテゴリTaxpayer 農水省は環境省と統合したらどうか この二つを読んで、ふと思い立った事。 池田信夫 blog 食料自給率という幻想 池田信夫 blog こうすれば農水省は廃止できる いっそ、農水省は環境省と合併させたらどうだろう。 なぜか。まず、農業や水産業といった一次産業は、実は経済で全て切れないという実情がある。 池田信夫 blog 食料自給率という幻想 しかし、この問題についての経済学者の合意は「食料自給率なんてナンセンス」である。 にも関わらず、農業を100%市場経済に載せている国は、食料輸出国を含め存在していない。なぜなら、水や空気や土といった「原資」は、文字通りプライスレスだからだ。工業製品のように、需要に応じて増減産することが工業製品と同じように出来ない以上、何らかの調整を行わないと市場経済に載せられない。 また、プライスレスであるが
http://www.waseda-garden.net/oonishi/2007/05/533.html 過去、日本の基礎は農業でした。農地が人口を支えていました。耕地が人口を支えられないとなると、政府は海外移住を勧めました。田圃どころか、畑にもならないような荒地に置き去りです。速い話、人間を捨てました。 さて、今の日本は、結構工業国です。ただ、既存の分野は粗方開拓され、雇用を支えられません。日本どころか、世界で一ケタの自動車メーカの、一握りのデザイナーが図面を引き、あとは期間工が組み立てるだけです。そこで考え付くことは同じこと。未開地を耕すのです。大学の研究室で、開拓の力を訓練し、フロンティアで豊かになってもらおう、と。 と、意気揚々大学をでて入った研究室は、せいぜい一ヘクタールの零細農家。教授、助教授、講師助手と、4人で食べればカツカツです。教授の言うまま、鍬を振り上げ、畑を耕し、種
「ソウゾウ性」と動物化 人が生きるためには、想像を創造することが必要だ。「ソウゾウ(創造、想像)性」とは未来への可能性であり、そこに向かおうとすることで生きる力が生まれる。しかし想像はどこまでも虚像である。それは虚像であるからこそ柔軟に創造される。そして虚像を創造するために現状をこえて錯覚することが必要である。 ソウゾウすることは、「命がけの飛躍」であり、現状から飛躍するにはリスクが生まれる。そしてリスク回避のために人は情報収集を行うだろう。情報が少ない時代には、そのような試みに対しても、解答が得られず、夢をみることを容易にした。そしてそこに貧しくても(貧しいからこそ)、ハングリー精神(生きる力)がうまれえた。 現代の情報過多の時代、夢をみることが難しくなっている。ソウゾウする前に、多くの情報が提供されてしまう。それは生きる上で失敗をさけ、リスク回避としては有用であるが、諦めとともに、足元
格闘技(観戦)と読書と映画とTVと体力作りの日々を、ネタばれ無しで過ごしたい男の随筆みたいなブログ。 “NASはなくてもBlogがあるさ”という気分で使ってみる 2024-03 « 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 » 原発に関して、意外に知られていない(かも知れない)こと 【その2】 東京に原発を造るバカはいない それでも気になる原発の安全性の実情 この記事は、原発に関して、意外に知られてない(かも知れない)こと の続きである。 一昔以上前、広瀬隆という人が『東京に原発を!』という本を書いている。私は読んだことはないのだが、「アホかいな!」というツッコミを前提にした「お笑い系」の本ではなく、いわゆるトンデモ本のようだ。 こういう本を書く人は、きっと人前で「原子炉圧力容器内の水は100度で沸騰している」と平気で言って
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