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ブックマーク / bunshun.jp (27)

  • 在宅死のカリスマがあえて問う「今までマスコミは美談ばかり伝えてきた」 | 文春オンライン

    「最期は住み慣れたわが家で死にたい」。病院ではなく、家なら穏やかな最期を迎えられる──そんな在宅医療「礼賛」の記事や番組がたくさんつくられてきました。しかし、現実は必ずしも理想通りではないことを痛烈に指摘した『痛い在宅医』(ブックマン社)が刊行されました。その著者が、「在宅死」を推奨してきたカリスマ医師、長尾和宏さんであったことも驚くべきことでした。 兵庫県尼崎市で20年以上にわたり在宅での看取りに取り組み、『「平穏死」10の条件』など多くの著作を世に問うてきた長尾医師に、医療現場に詳しいジャーナリストの鳥集 徹さんが「在宅医療のリアル」を聞きました。 ◆◆◆ 鳥集 『痛い在宅医』を拝読しました。末期の肺がんのお父様を総合病院から引き取られて、ご自宅で看取られた女性の話です。彼女は長尾先生ののファンで、在宅で看取れば苦痛なく、穏やかに見送れると思っていた。ところが、在宅医は初診時に自宅

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    chiaki99 2019/09/17
  • 世界一の富裕国・ルクセンブルクには、なぜ高級車も高層マンションもないのか | 文春オンライン

    ◆◆◆ 国民ひとりあたりのGDPが日の2.6倍もあるルクセンブルク ――ルクセンブルクというと、ドイツ、フランス、ベルギーに囲まれた小国で、日人からすると馴染みの薄い地域です。なぜこの国に注目しているのでしょうか? 藻谷 ルクセンブルク大公国は、佐賀県程度の広さで人口は60万人ほどの極小国ですが、国民ひとりあたりのGDP(国内総生産)は10万ドル超、つまり日の2.6倍以上もある世界一の富裕国です。今から30年ほど前、私がまだ大学生の頃に訪れたときは鉄鋼業の国でした。普通なら、イギリスのバーミンガムのように鉄鋼中心の都市は凋落の一途をたどるはずが、いつの間にかルクセンブルクは金融で浮上した。いまや、ロンドンやフランクフルトに次ぐ、一大金融センターになっているんですね。 ――なぜそんなことが可能になったんでしょうか。 藻谷 不思議ですよね。どこかのに理由が書かれているのかもしれませんが

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    chiaki99 2019/05/06
  • 富士通などのSIerの惨状を見ていると、太平洋戦争で負けた大日本帝国を思い出す - 文春オンライン

    人が経営の組織はだいたい同じ問題を抱えている で、先日、日の大手SIerであり、官公庁から大手企業、地方の中小企業にいたるまで多くの組織の情報化を支えてきた富士通グループというステキ法人について、5年勤めたとされる人物が増田はてなアノニマスダイアリー)で実情記事を書いていて話題となりました。 5年いた富士通退職した理由 https://anond.hatelabo.jp/20190326233147 あまりにも感動的でストレートな内容だったため、この界隈だけでなく私の生息する社会調査やサイバーセキュリティ関連の皆さんのハートを直撃しました。もうね、キュンキュンしますよ。開発系の人たちの集まるコミュニティでは大盛り上がりでした。さすがに富士通で働いている人からは「そこまで酷い環境じゃないよ」という反論もいくつか出ていまして、細かい点では事実と異なるのかもしれません。 しかし、この記

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    chiaki99 2019/05/06
  • ゲイであることを隠すために付き合った女友達が、十年後に教えてくれたこと | 文春オンライン

    書籍「僕が夫に出会うまで」 2016年10月10日に、僕、七崎良輔は夫と結婚式を挙げた。 幼少期のイジメ、中学時代の初恋、高校時代の失恋と上京、カミングアウト……。僕が夫に出会うまでを振り返り、何を考え、何を感じて生きてきたのかを綴った「僕が夫に出会うまで」が現在発売中です。 文春オンラインでは中学時代まで(#1〜#9)と、母親へのカミングアウト(#28〜#30)を特別公開中。 自分がゲイであることを認めた瞬間から,彼の人生は大きく動いていきます。さまざまな出会いや別れ、喜び、悲しみ、怒り──幾多の困難を乗り越えて、生涯のパートナーに出会い、そして二人は大きな決断を下す。 物語の続きは、ぜひ書籍でお楽しみください。 実は僕も、中学時代に彼女を作った事がある。それは自分への挑戦でもあったのかもしれない。 なんせ自分をゲイだとは思ってもみなかったので、男は女と付き合うものだと無条件に信じ込んで

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    chiaki99 2019/05/06
  • 孫への誕生日プレゼントは3000円――昭和天皇の知られざる「家計簿」 | 文春オンライン

    「なんて恐ろしい! こんなものは宮内庁の中でも、ごく一部の人しか知りませんよ。私に見せないでください!」 ある宮内庁関係者は、声を震わせながらこう言った。 「こんなもの」とは、表紙に「内廷会計歳出予算概算要求書 侍従職」と書かれた、昭和44年度と45年度の2冊の分厚い文書のことである。どちらも、わら半紙にガリ版で刷られたものだ。 そこには、購入予定の品名と、それらにかかる金額が、何ページにもわたって整然と並べられている。例えば45年度には以下のような品目がある。 〈背広/7着/単価65000円/要求金額455000円〉 〈ポータブルテープコーダー/1台/要求金額39800円〉 〈ヘアトニック/20/単価500円/要求金額10000円〉 〈ベープマット/3箱/単価330円/要求金額990円〉 「内廷」とは天皇家や東宮家を指す。また「侍従職」とは宮内庁の中にあり、天皇・皇后に側近として仕える

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  • 「好きなことを仕事にした」人の天国と地獄 | 文春オンライン

    最近ようやく親族が退院しまして、長らく病院のベッドで闘病してから自宅に帰って生き返ったような表情をしておりました。それはそれで良かったね。 で、まあ「拾った命だし、やりたいことをやらせてくれ」となるわけです。言いたいことは分かる。人のやりたいことはバイク乗りにゴルフに家庭菜園。人はウキウキして帰ってきたものの、いざやりたいことに取り組もうとすると、体力のなさ、集中力の続かなさに直面して凹んでいるという。面倒くせえ。倒れたバイクを起こす筋力を鍛えるためにダンベルを買い、精力的に歩くようになり、以前よりはるかに事に気を遣っているというのは、人間が持つやりたいことのパワーなのでしょうか。 「やりたいこと」が前に出ている人 仕事柄、どうしてもそういう「やりたいこと」が前に出ている人とお会いする機会が多くあります。事業に取り組みたい人、留学したい人、キャリアアップのために転職を考える人、みんな

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  • 銀行の子会社が「おじさん」を再生産する牢獄になっている | 文春オンライン

    「私はある関連会社の社長になりました。ただ、この会社で、メガバンクの入行年次は私が一番下でした。つまり最若手です。メガバンクでの入行年次が上でも、最終ポストが私よりも下だった先輩は専務、その先輩より下のポストで終わった、さらに入行年次が上の先輩が、常務……。といった具合に、メガバンクでの最終ポストだけが会社の秩序を支えています。これが逆転することは決してありません」 メガバンク体の持ち株会社の社長、頭取を頂点としたピラミッド型の年功序列の組織を維持するためには同期を順次、体から放出するしかない。その一方で、彼らを解雇するわけにもいかない。そうした中、終身雇用、年功序列を守るためには、こうした人員を吸収する、「逆ピラミッド」型の子会社や関連会社が必要になるのだ。 ここでは、頑張っても出世することはない。給与も地位も、メガバンクの最終ポストによって規定されている。最若手がトップにいようとも

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  • 「想い」ばかりで「欲望」を語らなくなった日本人 | 文春オンライン

    「想い」という表現が日中に溢れている。よく注意してみるととりわけテレビ番組で多く使われていることに気づかされる。日人の「想い」は募るばかりで、「想い」を聞かない日はないと言っても過言ではない。 「想い」だけではどうにもならない この「想い」、いつ頃から多用されるようになったのかは定かではないが、おそらく東日大震災の発生以降のことではないだろうか。震災で亡くなった方への「想い」が多くの番組で語られた。大切な家族を失い悲嘆にくれる人々の姿に日中の人々が心を痛めた。まことにお気の毒でかける言葉もみつからない。そんな気持ちが「想い」という表現に集約されていったのかもしれない。 ところがこの「想い」という単語、その後メディアのみならず社会で広く、都合よく使われるようになった。まずは被災地の人々が復興に向けて立ち上がろうとする姿を「復興への想い」と表現するようになった。地震や津波によって破壊さ

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  • すごいを通り越して恐怖すら感じる「こじるり」という才能――2018上半期BEST5 | 文春オンライン

    2018年上半期、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。エンタメ部門の第5位は、こちら!(初公開日:2018年1月5日)。 *  *  * 先日、日テレが誇る最強脳内洗浄番組『ヒルナンデス!』を観ながらのんびりお昼ごはんをべていたときのことです。サバンナ高橋と「こじるり」こと小島瑠璃子がどこぞのパン屋かなんかに中継に出ていまして、「すごい行列ですね~」と賑やかにやっていた2人に、突然近づいてきたんですよ、何かをブツブツつぶやいている男が。「お父さん、お父さんちょっと!?」。そのブツブツ男がまずは高橋に体当たり、それを見たこじるりが「いや~! 怖い怖い!」と叫びながら逃走……。 と、文字にするとものすごい放送事故じゃないですか、これ。しかし、この事故案件を単なる生放送中のいちアクシデントに抑えたのが、今回の主役、こじるりなのです。 あらためてこのシーンを見返しますと、ま

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  • (3ページ目)「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | 文春オンライン

    宮崎駿が語った「高畑勲という人」 作品のためなら何でもする。その結果、未来を嘱望された人間を次から次へと潰してしまった。宮さんはよく「高畑さんのスタッフで生き残ったのは、おれひとりだ」と言います。誇張じゃなく、当にその通りなんですよ。高畑さんの下で仕事をすれば勉強になるとか、そんな生やさしいことじゃないんです。酷使され、消耗し、自分が壊れるのを覚悟しなきゃいけない。 「パクさんは雷神だよ」。宮さんは最近そう言っていました。高畑さんが怒るときはいつも気なんです。その人を鍛えるため、仕事への姿勢を変えるために言うんじゃない。気で怒っているから、何の配慮もしません。逃げ道も作らないし、あとで救いの手を出すこともない。だから、怖いですよ。 『火垂るの墓』の製作に携わった新潮社の新田敞さんがいみじくも言っていました。「松清張や柴田錬三郎、安部公房、いろんな作家と付き合ってきたけど、あんな人は

    (3ページ目)「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | 文春オンライン
  • (2ページ目)「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | 文春オンライン

    ポスターに怒鳴りまくる それで「罪と罰」を使って第一弾ポスターを作ることになるんですけど、それをめぐってまた一悶着が起きるんです。ポスターの試し刷りをするにあたって、ひとつは原画に忠実な色、もうひとつは蛍光ピンクを入れてちょっと派手にしたものを作りました。それを持っていくと、派手なほうを見て、高畑さんは怒りだしました。「あなたはこんなふうに作品を売りたいのか!」。高畑さんが怒鳴りまくる中、僕が黙っていると、たまたまその絵を描いた男鹿和雄さんがやってきました。高畑さんとしては我が意を得たりと思ったんでしょう。「男鹿さん、どう思いますか」と聞いた。そのとき一瞬、僕と男鹿さんの目が合いました。すると、男鹿さんは「こっちでいいんじゃないですか」と派手なほうを指さしたんです。高畑さんとしては悔しかったでしょうね。 ©文藝春秋 この問題はさらに尾を引きます。その後、制作がだいぶ進んでから、高畑さんが「

    (2ページ目)「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | 文春オンライン
  • 「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | 文春オンライン

    今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1、#2より続く最終回) ◆ ◆ ◆ この作品はいつ完成し、世の中に出せるのか。僕としてはいっさい考えていませんでした。完成したときに公開すればいい。そう腹を括って、予算を含めた態勢を組んでいたんです。間に合う間に合わないですったもんだすることに、ほとほとうんざりしていたということもあるし、高畑さんに気のすむまでやってもらおうという気分もありました。結果的に8年の歳月をかけて、日映画史上最大の50億円もの予算を費やすことになるわけですが、僕としてはいっさい焦りを見せないようにしていました。 「かぐや姫」と「風立ちぬ」同時公開というアイデア それでも、完成の目処がついたと報告を受けたときは心が揺らぎました。というのも、西村が言ってきた

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  • (3ページ目)「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 | 文春オンライン

    「完成させたかったら、高畑さんを解任しろ」 準備がある段階まで進んだところで、急に進捗状況が悪くなりました。西村に話を聞いてみると、要するに、高畑さんが田辺ひとりに芝居を描かせようとしていることが分かりました。『山田くん』からさらに要求がエスカレートしたんです。 この数十年、アニメーションの絵はどんどん細かくなってきました。たとえば、『となりのトトロ』の頃は、長編一につき原画マンひとりで10分ぐらい描いていたのが、いまは3分も描きません。それだけ作業が細分化し、人手をかけるようになっている中で、高畑さんはひとりの人間にぜんぶ描かせようとしていたんです。 ©文藝春秋 少数精鋭というのは分かりますが、さすがにひとりというのは現実的じゃない。そこで、僕としては間をとって3人ぐらいで描いたらどうかと西村に提案しました。その結果、久々に安藤雅司がジブリに帰ってくることになりました。宮崎駿の下で『も

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  • (2ページ目)「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 | 文春オンライン

    「あの男にはマルキストの香りが残っている」 僕は、プロデューサーというのは監督と二人三脚でやっていかなければいけないと考えています。そういう意味では、僕は今回、プロデューサーとはいえません。そこで、西村をプロデューサーに指名し、現場のことはすべて任せることにしました。ちなみに、もうひとりの岸のほうは途中でジブリを辞めて、いまは売れっ子の脚家となっています。 そうやって『かぐや』の準備が進む一方、氏家さんは高畑さん、宮さん、僕を誘ってヨーロッパの美術館を巡る旅を企画しました。2008年から3年間、毎年夏にフランス、イタリア、スペインを訪ねたんですが、宮さんと僕を誘ったのはおまけで、氏家さんとしては高畑さんと行きたかったんだと思います。 なんでそこまで高畑さんにこだわるのか、あるとき聞いてみたことがあります。 「高畑の映画には詩情がある。おれはあいつに惚れてるんだ。あの男にはマルキストの香

    (2ページ目)「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 | 文春オンライン
  • 「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 | 文春オンライン

    今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1より続く) ◆ ◆ ◆ 当時、高畑さんが作りたがっていたのが『平家物語』でした。企画としてはおもしろいものの、誰が絵を描くのかという問題がありました。宮崎駿が「平家の戦いのシーンを描けるとしたら自分しかいない」と豪語していたほどで、技術的にも非常に難しいことは分かっていました。高畑さんは『山田くん』でも活躍した田辺修に描いてもらおうとするんですが、田辺も頑固な男で、「自分は人が人を殺す話は描きたくない」と言う。 そこで僕が持ち出したのが『竹取物語』でした。言わずとしれた日最古の物語で、高畑さん自身、「誰かがいちどきちんと映画にすべきだ」と言っていたのを思い出したんです。あらためて高畑さんにその話をすると、「誰かが作るべきだとは言い

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  • (2ページ目)「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 | 文春オンライン

    死ぬまでにもう1高畑の作品が見たい 氏家さんは徳間書店の社長、徳間康快と同じ読売新聞の出身。経営者としても仲がよく、徳間の葬儀では弔辞を読んでもらいました。そのお礼を言いに訪ねていくと、氏家さんはしみじみと語りました。「徳さんはすごかったな。会社から映画まで自分でいろんなものを作った。あの人は物のプロデューサーだった。おれの人生は、振り返ると何もやってない。70年以上生きて、何もやってない男の寂しさが分かるか」 僕は返答に困って、愚にもつかないことを言いました。「マスメディアの中で大きな役割を果たしているじゃないですか。日テレビの経営を立て直したのも氏家さんでしょう」。氏家さんは「ばかやろう!」と怒鳴りました。「読売グループのあらゆるものはな、ぜんぶ正力(松太郎)さんが作ったものなんだ。おれたちはそれを維持してきただけだ。おれだって何かひとつ自分でやってみたい。そうしなければ死んでも

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  • 「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 | 文春オンライン

    高畑さんが亡くなり、「お別れの会」を終えたいまも、気持ちが収まる気配がありません。徳間康快や氏家齊一郎さん、あるいは親父やお袋が死んだときも、葬儀を終えてしばらくしたら、心の整理はついたんです。ところが、今回はなかなか落ち着かない。気がつくと、すぐそこに高畑さんがいるんですよ。こんなことは生まれて初めてです。それだけ強烈な人だったということなんでしょうけど、正直なところ困っています。 お別れの会でも話しましたが、高畑さんと僕は最後の最後まで監督とプロデューサーでした。ある種の緊張関係がずっとあったんです。 鈴木敏夫(スタジオジブリ 代表取締役プロデューサー) ◆ ◆ ◆ 最初にじっくり話をしたのは、高畑さんが『じゃりン子チエ』を作っているときでした。当時の僕は『アニメージュ』の編集者。制作会社テレコムがあった高円寺の喫茶店でインタビューすることになりました。席に着くやいなや、高畑さんは先制

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  • 吉岡里帆が語る「グラビアのお仕事のこと」 | 文春オンライン

    吉岡 姉御肌の女の子にすごい大事にされるタイプでした(笑)。なんかちょっと妹分っぽかったのかな、いま思うと。いつもお姉さんっぽい感じの女の子が近くにいて、守ってくれてる。8人ぐらいがいつも一緒にいて。大所帯でしたね。今でも私の周りはお姉さんがいっぱいです。 ―― 友達の中でテレビの話題とかって出るんですか。 吉岡 そのときそのとき流行りのテレビって絶対にあって、それを観てないと話についていけないぐらいにみんなが観てるような番組って、いいなって思うんですよ。今回、主演をさせていただく『きみが心に棲みついた』でも、どういう目標あげられますかと言われたら、やっぱり、来週がとにかく気になる、次の日にみんなが話したくなるようなシーン作りができたらいいなぁって思いますね。 ―― 映画『天地明察』のエキストラに参加されたのが、この世界に入ったきっかけのひとつだそうですが、それはいつだったんですか? 吉岡

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  • 吉岡里帆が告白「落語家を目指していた時代」 | 文春オンライン

    吉岡 やっぱりすごく感動しましたね。親戚のみんなが喜んでくれて。すごくおめでたい仕事だなと思いました。みんなが観てくれてるというのは、冥利に尽きる感じがあって楽しかったです。2017年にお世話になったアーティストさん達のパフォーマンスを見ることができて幸せでした。 ―― ずーっと映る、すごく大変な席に座られていて(笑)。 吉岡 そうなんですよ! 当日、「審査員席がちょっと昨年とは変更になりまして」という説明があって、「高橋一生さんと吉岡さんは終始映っていると思いますので、気を引き締めていきましょう」みたいに言われて(笑)。 ―― 当日! 吉岡 えっ? みたいな(笑)。私はお客さん目線で見れるから楽しみだなぁと思ってたんですけど、すごくガチガチに緊張してました。 ―― お正月は休めたんですか。 吉岡 はい、31日が『紅白』だったので、お正月は、おばあちゃんとお母さんと東京に招待して、一緒に年

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  • 5つの臓器を全摘した建築家・安藤忠雄「生涯、青春していたい」 | 文春オンライン

    「私は変人と言われますが、安藤さんは超人だ。奇跡の人である。素晴らしい!」 来賓挨拶に立った小泉純一郎氏が、お馴染みの名調子で声を張り上げた。9月26日、東京・国立新美術館で執り行われた「安藤忠雄展―挑戦―」開会式でのこと。 建築家を志して半世紀。軌跡をたどる個展で、安藤忠雄さんは確かに「超人」ぶりを発揮している。会場内に代表作「光の教会」の原寸大モデルを建ててしまったのだ。 「建築は模型や写真を見るだけでは足りない。実際に体験してもらわなければ、建築家がそこに込めた気持ちは伝わりません。200坪のテラスを展示に使っていいというので、じゃあ1分の1スケールでつくってしまおうと考えた。材料はもちろん物と同じコンクリートを用いています。展示品ではあるけれど、東京都に確認したらこれは美術館の『増築』扱いになるという。慌てて許可申請をして、何とか間に合わせましたよ」 展示は、目玉の「光の教会」の

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