タグ

ブックマーク / note.com/fumiken (9)

  • 学校よりも先に必要なもの。|古賀史健

    会社とは別に、「学校」をつくるのはどうだろう? 月曜日からだらだら続けてきた「これから」の話、きのうはここで止まっていました。でも、学校のプランを説明する前に、そもそもなんでぼくが「次代のライター育成」なんて大それたことを考えているのか、そこに時間と労力を投じようとしているのか、お話ししておく必要がありそうです。 なぜ「ライターの育成」なのか?長年ビジネス雑誌やビジネス書のライターをやっていたぼくは、経営者の方々に取材させていただく機会に恵まれていました。そしてある時期、かならずと言っていいほど投げかけていた質問があります。それは「上司がほしい、と思ったことはありませんか?」というもの。24歳からフリーランスでやってきて、上司もいなければ師匠もいない環境で育ったぼくにとって、これはけっこう切実な問いだったんですね。社長さんたちのなかには「いやぁ、上司がいてくれたらどんなに楽かと思うことはあ

    学校よりも先に必要なもの。|古賀史健
    chibama
    chibama 2018/04/18
    ”ぼくはこの教科書を、編集者を入れずに書こうと思っています”
  • ぼくが生きる「場」はどこにあるか。|古賀史健

    きのうの話の続きです。 今後コンテンツは「プロダクト」と「サービス」に分かれていく。ゲームにたとえるなら、通常のパッケージソフトと、スマートデバイス用アプリが、それに該当する。ゲームアプリ的コンテンツは、一見すると「短い」「早い」「軽い」などの要素で成り立っているように見えるが、そこは質ではない。アプリの質は、そこで「持続的なサービスが提供されていること」である。その運営についての準備や覚悟もないまま持続サービス型コンテンツに参入することは、少なくともぼくにはできない。きのうの話に補助線を引きながらまとめると、こんなところになります。 こう書くとまるで、ぼくが持続サービス型コンテンツを否定しているように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。むしろ可能性を感じているし、必要性も感じています。問題は、自分がそこでどのような価値を提供できるか、です。 ということで今日は、かなり「自分

    ぼくが生きる「場」はどこにあるか。|古賀史健
    chibama
    chibama 2018/04/17
    ワクワクしてきた!
  • これからに向けての大前提。|古賀史健

    今日から数日間、ちょっとだけまじめな話をします。 のライターである自分が、これからどんな仕事をしていくのか、どこに向かって進んでいくのか、というお話です。もう何年も前から考えてきたことであり、最近ようやくその答えが見えてきたような気がしています。 もともとのきっかけは2015年3月17日でした。 この日、任天堂とDeNAの業務・資提携が発表され、当時任天堂の社長だった岩田聡さんと、DeNAの社長である守安功さんの共同記者発表がおこなわれました。任天堂がスマートデバイス向けコンテンツに参入するということで、インターネット中継されたこの会見。前半は岩田聡さんのプレゼンテーションでした。現在も任天堂の企業サイトで読むことができます。 詳細はそちらを読んでいただくとして、この会見を聴きながらぼくは「いま岩田さんは、ものすごく大切な話をしている」と直感しました。けれども一方、その「大切な話」を自

    これからに向けての大前提。|古賀史健
    chibama
    chibama 2018/04/16
    気になる。
  • 文章の書き方と考え方、その一提案。|古賀史健

    読書感想文の書き方について、お話しさせていただいた。 ほぼ日のなかでもひときわ大好きなコンテンツ、「勉強の夏、ゲームの夏。」に呼んでいただいての話だ。毎年「意外と高学歴な人々」が講師として招かれるこの企画(たとえば去年は瀧哲史さんなどが登場されている)に、意外と低学歴な自分が出てもいいのだろうかと内心不安に思いながら、ぼくなりの書き方や考え方について、おしゃべりさせていただいた。 もともとぼくは「ことばの正しい文章」や「読みやすい文章」であれば、練習次第で誰にでも書けるようになるし、それでライターとして最低限の仕事を果たせるようになると思っている。むずかしいのは、その先にある「おもしろい文章」を書く力であって、もしかするとそこには才能めいたものが必要になるのかもしれない。これが才能の問題なのか、技術や態度の問題なのか、ぼく自身まだ答えが出ていないところだ。 今回お話しさせていただいたこと

    文章の書き方と考え方、その一提案。|古賀史健
    chibama
    chibama 2017/08/28
  • 柿内芳文という男。|古賀史健

    これだけ荒ぶり、粘着している理由がそれかい! ……さて、こういうモードに突入したときの柿内芳文は、絶対に敵に回したくない。そして味方につけることも、したくない。 とにかくもう、ひたすら面倒くさいし、しつこいのだ。しかもおそろしいことに彼は、の編集中に一度はこのモードに突入する。こちらの原稿の一点に、ワケのわからない情熱で執着し、何度も何度も修正を求める。終わってみれば毎回ありがたいかぎりなのだけど、やってる最中にはほんとうに面倒くさい。 ぼくは、すぐれた編集者(おそらくライターやほかの職業でも)は、その行動原理がひと言で要約できるものだと思っている。そのときどきで取り組む対象が異なっても、初期衝動はずっと変わらないものだし、そうした核を持たない人は弱いと思っている。 たとえばぼくの場合、いつも「もったいない!」からすべてがはじまる。 こんなにおもしろいのに、全然知られていない。評価されて

    柿内芳文という男。|古賀史健
    chibama
    chibama 2017/06/23
  • 自分を消した先に残るもの。|古賀史健

    ライターの仕事をはじめて間もないころ、いかにして「わたし」を消すか、に苦心していたおぼえがある。たとえばお店の紹介記事を書くとき、新製品の紹介記事を書くとき、まだ無記名の原稿ばかりだったこともあり、ひたすら「わたし」を消すことを心掛けていた。 それはいつしか「誰もわたしの話など聞きたくないのだ」という自己認識につながり、ものを書くときのみならず、人と会うときにも「わたし」を消すような立ち居振る舞いが身についていった。自分の顔と名前を出して、メディアで活動する同世代の人たちを横目に見ながら、自分はあそこにはいかないだろうなあ、これといって主張したいこともないもんなあ、と思っていた。 そんな思いに少しずつ変化が出てきたのは、の原稿を書くようになってからのことだ。10万字にもおよぶ原稿を書こうとしたらどうしたって「わたし」が出る。誰かに取材し、その声を、その人の言葉でまとめていった原稿だとはい

    自分を消した先に残るもの。|古賀史健
    chibama
    chibama 2016/06/16
    “いわゆる「わかりやすい文章」ってやつは、ひとえに書き手がその対象をどれだけ深く理解できているか、にかかっているのだと思う”
  • 傘がおちょこになる瞬間|古賀史健

    このひとのインタビューは、いつ読んでも確実におもしろい。そう断言できるひとのひとりに、黒澤明さんがいます。いまとして残っているインタビューは、やはり晩年のものが多く、そのせいもあってかぜんぜん怖いひとじゃない。気むずかしい感じもなく、むしろ「訪ねてくれてありがとう」なトーンで話が進む。こういうインタビュー(声)がのかたちで残っていることは、ほんとうにありがたいよなあ、と思います。 それで黒澤さんはしばしば、ほとんど無意識のように、ご自分の映画について「写真」という言い回しを使われるんですね。「ぼくの写真はねえ」みたいな感じで。活動写真の名残なのか、それとも映画とは1秒24コマの写真の集まりなんだというお考えなのか、フィルムに対応する語としての写真なのか、そのあたりは定かではありませんが、この「ぼくの写真はねえ」の感じ、とても好きなんです。 とはいえ黒澤さんも、意識的に「映画」の二文字を

    傘がおちょこになる瞬間|古賀史健
    chibama
    chibama 2015/05/14
    “本の世界にも、原稿が「本になる瞬間」というものがあるように思っています。10万字の原稿を書けば、それが自動的に本になるわけじゃない”
  • あのひとの街頭演説|古賀史健

    きのうは統一地方選の後半戦でしたね。選挙結果を報じるNHKニュースを眺めながら、「あっ、いいこと思いついたかもしんない」と思ったので、うまく説明できるかわかりませんが、ことばにしてみたいと思います。企画書の話です。 をつくるときの企画書。これ、出版社さんによっていろんなフォーマットがあるのですが、どこの出版社さんの企画書にもほぼ確実に「想定読者」なる欄が設けられています。このはいったい誰が読むのかと。お前はどういう人たちにこのを届けたいのかと。届ける読者によって、中身もタイトルも装幀も違ってくるよねと。 なので、大抵のビジネス書では、企画書段階の想定読者として「20代〜30代のビジネスパーソン」とかテキトーに文言を書き込むわけですが、いやいや、バカを言っちゃあいけないよ、じゃないですか。20代からすると「30代のオヤジたちと一緒にするな!」だろうし、ひとくちでビジネスパーソンと言って

    あのひとの街頭演説|古賀史健
    chibama
    chibama 2015/04/27
    “仮に、Aさんというベンチャー経営者が自身の半生と経営哲学を語る本を企画したとしましょう。このとき、安易に想定読者を「20代〜30代のビジネスパーソン」なんてことにするのではなく…”
  • 売れない本のつくりかた|古賀史健

    ぼくはをつくる仕事をしています。だから当然、毎日どころか毎時間、毎秒のように「売れる」のことを考えています。「いい」をつくるのなんて、プロとして当たり前の大前提。たいせつなのは、その「いい」をどうやって「売れる」にしていくか、つまり読まれるべきたくさんの人に届けていくか、なのです。 それで、たぶん世のなかには「これをすれば売れるよ」なんて法則を持っているひと、正確にはその発想に縛られているひとも大勢いて、たとえば「タイトルに数字を入れると売れるんだ」とか、やれ「疑問形のタイトルがいいんだ」とか、たいへんけっこうな法則を語られるのですが、まあそういった方々には、ぜひそのすばらしい法則でばんばん売ってください、というほかありません。 一方、ぼくはこれまで100冊近いをつくってきましたが、まだまだ「売れるのつくりかた」なんて法則は見つからず、たぶんこの先ずっと見つからないだろうと思

    売れない本のつくりかた|古賀史健
    chibama
    chibama 2015/04/16
  • 1