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ブックマーク / thir.hatenadiary.org (4)

  • 本当に「ゆとり教育に伴う思考力の低下」が原因なのだろうか? - Thirのノート

    工業化学科の1学年は235人。従来、私の授業では1割程度が単位を落としていました。ところが、現在の3年生から急に4割ほどの学生が単位を落とすようになりました。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080825/168719/?P=1 さて、引用元ではこれが「ゆとり教育で思考力が低下したのせい」だと言う話になっているのですが、では、実際に「ゆとり教育」という姿勢それ自体が間違っていると結論づけるのは、些か早計すぎる気がします。まさかこれだけの懸念している教授が初歩的な部分で誤認をするとは思えないため、以下のことが実際に当たっているかは全く分からないのですが(それこそ京都大学に在学しており、なおかつゆとり教育とそれ以前の端境期を生きているid:iammg氏に検証していただきたいのですが)、実際に私の身に起こった事実も思い出しながら、少

    本当に「ゆとり教育に伴う思考力の低下」が原因なのだろうか? - Thirのノート
    daca
    daca 2008/08/27
    以前から日本の大学は(選択科目とかでも)足りない知識があれば自分で補え的な方針で来ているし、それでいいと思う。前提が違うから対照群(もどき)として不適切って主張なら一応わかる。ただ、大学が補習的な部
  • あのー、それ、普通にいじめなんですけど - Thirのノート

    ニコニコ大会議であった例の件について。例の件について存じない方は、とりあえず「2008-07-04」を読んでくださいな。 いじめの構造 いじめというのは、ある一人の人物を他の大多数の人間が「見下す」ことで、虐める側の人間が「虐める側」としての共通意識・仲間意識を持つものである。つまり、虐める側は虐められる一人の人間を「外部」として定義することで初めて集団性・内部性を保つことに成功するのである。 ここで出てくるのが、「生け贄にされた一人」の問題である。いじめの構造上、彼は彼が有している感情の如何に問わずその集団の外にはじき出されている。いじめについては他にも様々な問題があるが、ひとまず「集団の内部と外部」という構造が見て取れる点だけを、今回は問題としてみる*1。 さて、ここで件のエントリに戻る。 ニコニコ大会議の場合 衝撃を受けた。すごい。すごいことだ。 あまりにも斬新すぎるコミュニケーショ

    あのー、それ、普通にいじめなんですけど - Thirのノート
    daca
    daca 2008/07/07
    ちょいと突付くと無邪気な差別をしてしまうような集団だってこと。場の空気が自制心をなくしちゃえば人間そんなものかも。このノリをも手放しで正当化するならニコニコはダメでしょ。自重すべき部分。
  • 馬鹿なのはゆとり世代じゃなくて - Thirのノート

    こんなことを言わなくてはならないのは当にばかげていると思うのだけれど、どうも未だに「ゆとり世代はこれだから」で昭和61年生まれ以降を無批判に叩こうとする人がいるようなので、ここで一度書いておくことにする。 馬鹿な若者というのは、今更ここで言うまでもなくいつの時代にも一定数いたものである。説明書を読もうとしない人間も、不満ばかり垂れ流す人間も、あるいは飲酒喫煙を自慢したり、犯罪自慢をする人間だって、さらには中二病的な諸事象も、別に今の時代になって突然現れたわけじゃあない。昔からそういう人間はいるし、それは人間古来の欲求から来る衝動なのだから、存在しないはずがないのである。 かつて、若者のさしたる行動は、社会から隔絶され閉じられた学生特有のコミュニティ空間のみで共有されるものであり、「学生」間での出来事は大人達の構成する「社会」によって具体的に認知されるものではなかった。学生による行為は、そ

    馬鹿なのはゆとり世代じゃなくて - Thirのノート
    daca
    daca 2008/06/23
    二極分化が激しい世代なんだと思うけどな。まあポストゆとり世代との対比ができるようになれば、単なるジェネレーションギャップ以上のものがあるのかないのか少し見えやすくなるかもね。
  • いい加減、インターネットという共同幻想から目を醒ましたらどうですか - Thirのノート

    未だに、インターネットは現実とは全く違う理念で動き、そして独自の世界を築き上げていると思っている人がいる。そういう人は、例えば「インターネットでは簡単に儲かるらしい」と豪語してしまったり、「インターネットでは全てのものが『無料』であることが理念として存在するから、なんでもタダで入手してOK」とか、「インターネットでは加藤が神扱いされている。気持ち悪い物だ」等と言ってしまったりする。あるいは、最近見られた「ニコ動でアニメの編が削除されるのはおかしい。だって宣伝効果があるんだもん。インターネットならではのそういう新たな面を認めようよ」なんていうのもそれに含めてしまっていいかもしれない。実際当にそうであるのかは全く確認されていないのにもかかわらず、「インターネットだから」という理由だけで、現実とは違う<何か>が存在するような錯覚を持ってしまう。 錯覚を錯覚と認めよう。もう、インターネットの独

    いい加減、インターネットという共同幻想から目を醒ましたらどうですか - Thirのノート
    daca
    daca 2008/06/22
    「インターネットでは~」というような現実と対比するような言説を過剰に受け止めて、反発してる一人相撲に見える。 なんにせよネットというツールを得て現実は一定程度変容するだろう。
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