◆「責任棚上げ」講和体制にほころび ◇迫られる戦後和解 旧日本軍の軍属だった守屋清さん(84)は現在、台湾人・陳献瑞として台湾雲林県斗六市の元国民党兵士向け施設で暮らしている。大日本帝国占領下の台湾人に生まれた。戦時中、米軍の捕虜になり、豪州の収容所へ。戦後は台湾の国民党軍と人民解放軍を転々とし、日本国籍を取得した。数奇な人生から、仲間は「三国兵士」と呼ぶ。台湾籍を再取得したのは、元国民党兵士として生活支援を受けるためだ。 台湾人は1952年のサンフランシスコ平和条約発効で日本国籍を失った。守屋さんは恩給など日本の戦後補償が受けられない。日本は87年、軍人軍属だった台湾人死傷者に最高200万円の弔慰金支給を決めたが、無傷の守屋さんは対象外。94年の村山富市内閣の決定で未払い給与(当時の金額の120倍)を受け取っただけ。日本の敗戦に同情する親日派だが、事実上の棄民に近い。似た問題は、韓国・朝