◇「三民主義」理想が重荷 「ひいてしまえ」。電話口で上司は命じた。炭鉱のトラックの運転手がアクセルを踏み直すと、「勝手に走るな」と行く手をふさいだ遊牧民の男性が吹っ飛んだ。5月10日、場所は北京から北に約550キロの内モンゴル自治区北東部西ウジムチン旗の草原。上司と運転手は漢族、ひかれた男性はモンゴル族だった。 地元政府に遊牧民の暮らしを尊重するよう訴えてきたリーダーのメルゲンさんの死が、当局と住民の衝突の引き金となり、デモが頻発した。インターネットにより、区都フフホトで5月30日の大規模抗議行動が呼びかけられると、自治区トップで次々世代の指導者と目される胡春華・中国共産党委書記は素早く動く。 「運転手を厳罰にし、発展の過程で民衆の利益擁護を根本とする」。アメとムチを繰り出したが、モンゴル族の怒りは収まらない。踏みつぶされたアイデンティティーの底には格差が横たわるからだ。政府は沈静化したと
さて,だいぶ昔の話題になりつつあるけど小林の過去発言ネタ。今回は,彼が多原香里に言及した箇所について。ちなみに多原は『部落解放』誌上に連載を持っており,そこで小林への反駁はなされているらしいが,残念ながら僕はそれを参照する機会に恵まれていない。 多原は,佐藤優との往復書簡の中で次のように書いた。 かなり前のことなのですが,ある日本人男性に「北海道は日本領になって良かったのだよ。そうでなければ,あなたたちアイヌ民族はロシアに侵略されるところだったのだから」と言われたことがあります。私は「日本よりロシアの方が良かったわ。彼らは民族という単位を尊重しているし,ロシア語は国連公用語の一つだもの」と答えたことがあります。はたして,日本人は私たち新参者の国民に「日本国民になって良かっただろう」と堂々と問うことができる材料を持っているのでしょうか。内国植民地と被支配民の忘却が,支配者に無神経な論理を与え
わしズムにはこう書いてある。 (P.19から引用) ネーション・ステート(nation state)のnationは「民族」である。 stateは「国家・政府」である。 国家を形成する「言語・文化・歴史」のポテンシャルを持っている集団を「民族」というのであって、それ以外はethnic「部族」である。 国会の先住民族決議は、そもそも「民族」「先住民族」の定義すらしていない。 アイヌはnation「民族」とは言えない。過去にも、現在も「民族」であったことはない。 だが、この中の「民族云々」の部分は、日本語の「民族」と言う言葉の定義の曖昧さを用いた詐欺であるのが判った。 私自身、確かにnationが民族とも訳されるのを知らなかったりと、無知な面もあったが、その辺を論ってくれる人がいてくれたお陰で、調査するうちこの詐欺構造に気付けた。 素直に感謝したい。 「民族」について、Wikipedi
知人に指摘されて,鈴木議員の日記でアイヌについての記述がなされていることを知った。5月4日の日記から引用する。 差別、偏見があったことを率直にお詫び、反省し、その上でアイヌ民族の名誉と尊厳をしっかり守っていきたい。〔……〕http://www.muneo.gr.jp/html/diary200905.html アイヌを中心的な問題のひとつに据え積極的に発言している政党は新党大地ぐらいだと思うので,彼には期待していた(そして,今もしている)のだけれど,この記述は批判されるべき要素を孕んでいると考える。 日本国はアイヌに謝罪すべきだ*1。だがそれは,「差別,偏見」があったからじゃない。かつてアイヌの天地だった北海道(アイヌモシリ)を植民地化し,先住民族アイヌに対し同化政策や強制移住といった民族の根幹を破壊する政策を行ったからだ。 極言すれば,偏見や差別は,それによって苦しめられた,あるいは,苦
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