3日目に、ICUから一般病棟に移された。重傷であることもあって、ナースステーションに近い、モニターカメラが付いた個室が私の病室となった。この部屋が、私にとって、自らの再生をかけた当面の「戦場」となる。 そしてこの頃から、私が事故車両に遺してきた遺留品探しも本格化した。私の勤めている会社の人たちが、JR尼崎駅近くの引き取り会場と、病院との間を奔走してくれて、いくつかのものが戻ってきた。 まず帰ってきたのが鞄であった。家族が買ってくれたばかりの、まだ真新しかった黒い鞄は、外側だけでなく、中まで血だらけで、すでにカビが生えていたとのことであった。そんな状態であったから、中身だけ抜いて、すぐ家族が廃棄し、私は鞄そのものは見ていない。 だだ驚くべきことに、鞄の角には、なんと「肉片」がついたままであったという。これでは、事故に直接あっていない人までもが、PTSDにかかってしまう。これくらいJRも考慮し