現在はグーグルジャパンの顔として活躍する徳生健太郎。彼はレイオフの憂き目に遭った後、創業者のラリー・ペイジとの最終面接を経て、グーグルに入社する。2003年のことだ。 インターナショナルプロダクトマネジャーとして配属された徳生は、検索連動型広告事業の国際展開を委ねられる。当時、世界でまだ7カ国。1年かけて16カ国に広げようと考えていた徳生に対して、ペイジら経営陣から発せられたのは、「3カ月で20カ国」という至上命題だった。誰もが無茶だと感じたミッションを、ところが徳生は見事に達成する。 国際展開をスケールアップする仕組みを構築し、さらなる展開はほかのメンバーに任せることができた徳生が次に関心を寄せたのが、全国屈指の進学校として知られる高校を中退するまで過ごした日本だった。そして彼は、ここから日本向けのビジネスに携わっていくことになる。 だが、もとより徳生はインターナショナルプロダクトマネジ
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