東京都中央区日本橋。江戸時代から続く商業の街を歩いていてふと気がついた。日本橋のローマ字表記が場所によって違う。ある場所では「Nihonbashi」、別の場所では「Nihombashi」。にほんばしの「ん」の表記が「n」の場合と「m」の場合があるのだ。一体どうしてなのか? 何か法則があるのだろうか? 謎を探っていくと、日本語が長年抱える問題が潜んでいた。道路・銀行は「n」、駅は「m」?日本橋
学校文法では、「文は主語と述語によって成り立つ」と教わる・・・という文には主語がない。こういう場合、学校では「生徒は」という主語が「省略されている」と教わるが、この基準で日本語の日常会話を分析すると、90%以上の文で主語は「省略」されている。世界の他の言語をみても同じで、主語が不可欠なのはインド=ヨーロッパ語族の一部に限られる。主語・述語モデルにもとづく生成文法も、「普遍文法」どころか「ヨーロッパ語文法」でしかない。 こうした英語をモデルとする文法に対する批判も古くからあり、時枝文法や三上章など、「日本語の論理は英語とは違う」とする議論も多い。本書は、学校文法や生成文法を否定する点ではこうした理論と同じだが、「日本語特殊論」も批判し、日本語も英語も基本的には同じ論理の変種だと論じる。著者の理論的根拠とする認知言語学は第2章に要約されているが、くわしいことは著者の前著を読んだほうがいいだろ
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