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池波志乃が語る古今亭志ん生 「貧乏したのは家族だけだった『勝手な人』」 | 昭和100年の100人 | 文春オンライン
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池波志乃が語る古今亭志ん生 「貧乏したのは家族だけだった『勝手な人』」 | 昭和100年の100人 | 文春オンライン
東京神田生まれで、17歳のとき橘家円喬に入門した落語家の五代目古今亭志ん生(1890~1973)は、「火焔... 東京神田生まれで、17歳のとき橘家円喬に入門した落語家の五代目古今亭志ん生(1890~1973)は、「火焔太鼓」「お直し」「らくだ」などを天衣無縫、自由闊達に演じ、天才の名をほしいままにした。長男が金原亭馬生、次男が古今亭志ん朝。池波志乃さん(1955~)は馬生の長女で女優。 (初出:「文藝春秋」1989年9月号) ◆ ◆ ◆ 「何しろおじいちゃんはいい加減な人でした」 おじいちゃんは、家中、芸人になるのが夢でした。私は15歳のときに高校を3カ月で中退して俳優座小劇場の養成所に入ったんです。でも、おじいちゃんは新劇はピンとこなかったらしくそれほど喜びませんでした。それから2年後新国劇に入団して「島田(正吾)先生がおじいちゃんによろしくって言ってたよ」と報告しましたら、もうほとんど寝たきりだったおじいちゃんが涙を流して喜んでくれました。でもとうとう私の舞台姿を見ないで亡くなってしまいました。

