エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
クラッシュ・ギャルズよりも“米国で大人気”だった日本人女子タッグとは? WWEが特別扱い、JBエンジェルスはなぜ人気絶頂で“帰国”したのか(堀江ガンツ)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
クラッシュ・ギャルズよりも“米国で大人気”だった日本人女子タッグとは? WWEが特別扱い、JBエンジェルスはなぜ人気絶頂で“帰国”したのか(堀江ガンツ)
80年代半ばに一世を風靡した悪役女子プロレスラー、ダンプ松本の半生を描いたNetflixの配信ドラマ『極悪... 80年代半ばに一世を風靡した悪役女子プロレスラー、ダンプ松本の半生を描いたNetflixの配信ドラマ『極悪女王』が話題となり、今あらためて80年代女子プロレスブームに注目が集まっている。 当時の絶対的なスターは、ダンプのライバルだった長与千種とライオネス飛鳥のクラッシュ・ギャルズ。ブームの原動力の大半はクラッシュ人気によるものだったが、あの時代、プロレスの本場アメリカでクラッシュより高い評価を得て大人気を博した日本人女子タッグチームがいた。それが立野記代と山崎五紀のJBエンジェルスだ。 立野と山崎はともに昭和56年(1981年)に全日本女子プロレスに入団した、クラッシュやダンプの1年後輩。立野は若手時代に1年先輩の長与を破り全日本ジュニア王座を獲得。山崎もデビル雅美の愛弟子として早くから注目されていた実力とルックスを兼ね揃えたコンビだった。 ADVERTISEMENT “ジャンピング・ボム

