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やっぱり家康は強運だった…「伊賀越え」で別ルートを選んだ武将は討たれ、家康一行は無事帰還できたワケ
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やっぱり家康は強運だった…「伊賀越え」で別ルートを選んだ武将は討たれ、家康一行は無事帰還できたワケ
大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)では家康(松下洸平)が信長の死を知り、明智光秀の手から逃れるため領... 大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)では家康(松下洸平)が信長の死を知り、明智光秀の手から逃れるため領国・岡崎城へ命懸けで戻る。歴史研究者の濱田浩一郎さんは「家康の三大危機のひとつ、伊賀越えはその強運を示すエピソードだ」という――。 ※本稿は、濱田浩一郎『家康クライシス』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。 光秀は京都で落ち武者狩りを 本能寺の変で信長・信忠を討ち果たした光秀は、落人狩りのため、家々を捜索させた。洛中の町屋に明智の軍勢が踏み込んできたので、都は騒然となった。光秀は信長を討てば多くの者が自分に味方してくれると考えていたかもしれないが、その見通しは甘かった。 「人質を出し、味方せよ」 と勧誘した勢田城主・山岡景隆に「信長公には高恩がある。同意できかねる」と早々に加勢を蹴られている。光秀は、近江から織田方の軍勢が進軍してくるのを恐れ、その日のうちに近江国へと向か

