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「失敗の日本史」上杉景勝の判断ミスがなければ徳川家康は関ヶ原で負けていた 大局が読めないしくじり大名の末路
上杉景勝は軍神・上杉謙信から家督を相続し、会津120万石を与えられた豊臣五大老の一人だ。だが秀吉の死... 上杉景勝は軍神・上杉謙信から家督を相続し、会津120万石を与えられた豊臣五大老の一人だ。だが秀吉の死後は家康の術中にまんまとはまり、上杉家の存続こそ許されたものの、所領は30万石へと大幅に減封されてしまった。東京大学史学編纂所の本郷和人教授は「失敗の理由はただひとつ、彼が大局を見極められなかったこと」と説明する――。 会津120万石という大領地を与えられた理由 上杉景勝は関ヶ原のときに、二重の失敗をしでかしています。失敗の理由はただひとつ、彼が大局を見極められなかったこと。 関ヶ原の時点で、彼の領地は会津でした。会津は東北の要の地であり、ここを持つ大名が東北のチャンピオン。その地を伊達政宗が取った。しかし豊臣秀吉に「もう戦争の時代は終わった。俺の家来になれ。挨拶に来い」と言われ、いろいろと渋りましたが、結局、家来になる。会津は取り上げられて、「おまえなら任せられる」ということで蒲生氏郷に与











2021/04/21 リンク