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鉄砲隊が狙っていたのは騎馬隊ではない…長篠合戦で織田信長が武田軍に企てた「根切」という恐ろしい行為 武田軍の精鋭たちを皆殺しにした作戦とは
岡崎城にいる内通者と接触しようとした武田勝頼 武田勝頼の狙いは、三河・遠江の徳川領であった。武田軍... 岡崎城にいる内通者と接触しようとした武田勝頼 武田勝頼の狙いは、三河・遠江の徳川領であった。武田軍は先遣隊と武田勝頼本隊の二手に分かれ、信濃から三河へ進軍した。ここからは、金子拓氏の『長篠の戦い 信長が打ち砕いた勝頼の“覇権”』(戎光祥出版社、2020)概説に沿いながら私見を交えて説明していく。 二次史料主体の見解ではあるが、武田軍は岡崎城にある徳川家臣の内通に乗じて出陣しており、その目的は岡崎城の制圧にあったと考えられている。岡崎城はかつて家康の居城であったが、家康は遠江浜松城に移転しており、その嫡男・松平信康の居城であった。 その信康が出陣して勝頼の軍勢に接近する。岡崎城内の内通者にとって裏切りの好機であったが、ここでその企てが発覚し、関係者は捕獲され、全ては失敗に終わってしまった。 天正3年(1575)4月30日、勝頼は浜松城から接近した徳川家康の軍勢と交戦してこれを吉田城に追い払っ



2023/06/20 リンク