エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
NHK大河ドラマでは無視されている…「本能寺の変」後でハッキリとわかる織田信長と徳川家康の本当の関係 家康が信長を殺そうと思っていたはずがない
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
NHK大河ドラマでは無視されている…「本能寺の変」後でハッキリとわかる織田信長と徳川家康の本当の関係 家康が信長を殺そうと思っていたはずがない
織田信長と徳川家康の関係は、一体どんなものだったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「本能寺の変を受... 織田信長と徳川家康の関係は、一体どんなものだったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「本能寺の変を受けて、家康は信長の仇を討とうとしていた。私怨で信長を恨み、ついには討とうとまで考えた大河ドラマ『どうする家康』の家康像とは、かなりの隔たりがある」という――。 実は家康は信長を追って切腹しようとした 19世紀前半に編纂された徳川幕府の公式記録『徳川実紀』には、いわゆる「伊賀越え」について「御生涯御艱難之第一」と記されている。徳川家康の生涯における最大の危機だったというのである。 このとき危険な状況下に置かれたのは、伊賀(三重県西部)の山を越えていたときだけではない。天正10年(1582)6月2日未明、織田信長が京都の宿所であった本能寺(京都市中京区)を明智光秀の兵に囲まれ自刃に追い込まれてから、家康が6月4日に無事に岡崎(愛知県岡崎市)に帰り着くまでの3日間、家康は生命の危機にさらされ続けた。

