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あなたの地元にあるお城は「ホンモノ」か…歴史と伝統を完全に無視した「ニセモノ天守」に騙されてはいけない 「史跡でなければ、なんでもあり」はおかしい
日本各地には90を超える天守が建っている。歴史評論家の香原斗志さんは「はっきりホンモノだと呼べるも... 日本各地には90を超える天守が建っている。歴史評論家の香原斗志さんは「はっきりホンモノだと呼べるものは、実は3分の1にも満たない。歴史的価値がまったくない『エセ天守』が数多くある」という――。(第1回) ※本稿は、香原斗志『お城の値打ち』(新潮新書)の一部を再編集したものです。 黒田官兵衛ゆかりの中津城天守は史実と無関係 中津城(大分県中津市)は天正15年(1587)に豊臣秀吉が九州を平定したのち、豊前六郡(福岡県東部と大分県北西部)の領主になった黒田官兵衛孝高が築いた。 関ヶ原合戦を経て、黒田家が筑前(福岡県北西部)に移ると、豊前には代わりに細川忠興が入封。細川藩の本城は小倉城とされたが、同じ領内の中津城は一国一城令の発布後であったにもかかわらず、例外的にそのまま維持することが認められた。 寛永9年(1632)、その細川家が熊本に転封になると、周囲の外様大名たちを監視する役割を負って譜代



2024/12/25 リンク