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「三菱グループ」の基礎を作ったのは岩崎弥太郎ではない…弟・弥之助が行った"兄の遺言やぶり"という判断 「小早川隆景が毛利輝元を補佐したようにせよ」
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「三菱グループ」の基礎を作ったのは岩崎弥太郎ではない…弟・弥之助が行った"兄の遺言やぶり"という判断 「小早川隆景が毛利輝元を補佐したようにせよ」
日本経済を代表する三菱グループはどのようにしてできたのか。歴史家の安藤優一郎さんは「祖である岩崎... 日本経済を代表する三菱グループはどのようにしてできたのか。歴史家の安藤優一郎さんは「祖である岩崎弥太郎の功績は言うまでもないが、兄を引き継ぎ事業の多角化を図った弟・弥之助の仕事ぶりによって、三菱の基礎が築かれた」という――。(第2回) ※本稿は、安藤優一郎『日本史のなかの兄弟たち』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。 海運業の三菱は戦争で急成長した 明治6年3月、岩崎弥太郎は社名を「三菱商会」に改称する。7年4月には本店を大阪から東京日本橋の南茅場町みなみかやばちょうに移した。その後、社名を「三菱蒸汽船会社」に再び変更し、海運業の会社であることを社名でも明示した。

