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【墨田区①】隅田川沿い、桜の名所の別荘地
墨田区は旧・本所区と旧・向島区が戦後合併して1つの区となったものである。南半分、両国駅周辺からス... 墨田区は旧・本所区と旧・向島区が戦後合併して1つの区となったものである。南半分、両国駅周辺からスカイツリー周辺までが本所区、その北側が向島区であった。 本所は江戸時代から市街地化していた。1657年(明暦3)の明暦の大火が江戸をほぼ全滅させ、防火対策として1659年(万治2)に隅田川に両国橋が架けられ、本所は武家屋敷などの移転先に選ばれたからだ。水戸徳川家など、60ほどの武家屋敷が幕末に存在した。本所区となったのは1878年。 向島は江戸時代も農村地帯のままだった。向島区となったのは1932年である。 向島百花園(1808年開園)が江戸時代からあるくらいだから、自然を楽しむ場所だったのだ。1717年(享保2)には8代将軍吉宗が隅田川堤に桜100本を植えさせ、桜の名所となった。それで今も向島には有名な「長命寺桜もち」の「山本や」がある。 1733年(享保18)には両国の花火が始まり、1781