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明月堂書店 – まもなくお江戸へ(大宮宿~蕨宿) 吉岡達也【第16回】-月刊極北
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明月堂書店 – まもなくお江戸へ(大宮宿~蕨宿) 吉岡達也【第16回】-月刊極北
江戸時代、旅人たちが京都・三条大橋から中山道六十九次(全長約540キロメートル)を歩き続け、ようやく... 江戸時代、旅人たちが京都・三条大橋から中山道六十九次(全長約540キロメートル)を歩き続け、ようやくお江戸入りを実感できたのが、現在の埼玉県南部の3宿、大宮宿(現在のさいたま市大宮区)、浦和宿(現・さいたま市浦和区)、蕨宿(現・蕨市)だった。ここから当時の戸田川(現・荒川)を船で渡ると、いよいよ中山道の江戸の玄関口、板橋宿(現・東京都板橋区)へ足を踏み入れることになる。 先週末、そんな往時の行程を追体験してみようと、日ごろの鈍った身体に鞭打って、3宿(約18キロメートル)を歩いた。 大宮宿、浦和宿、蕨宿という3宿は、それぞれ宿場町の異なる性格を持っている。 まず蕨宿(1843年当時、人口2223人)。文字通り、一般の人が思い描く典型的な宿場町だ。多くの宿場同様に江戸時代初期に幕府により整備され、20軒を超える旅籠や茶屋が軒を連ね、地域のターミナルとしてにぎわいをみせた。 続いて浦和宿(18