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院政の拠点 遺構出土、後白河上皇「法住寺殿」…京都国立博物館敷地 : ニュース : 列島いにしえ探訪 : 文化 伝統 : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
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院政の拠点 遺構出土、後白河上皇「法住寺殿」…京都国立博物館敷地 : ニュース : 列島いにしえ探訪 : 文化 伝統 : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
京都市東山区の京都国立博物館敷地内で、平安時代末期に権勢を誇った後白河上皇(1127〜92)が政... 京都市東山区の京都国立博物館敷地内で、平安時代末期に権勢を誇った後白河上皇(1127〜92)が政務を執った「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」の一部とみられる門や道路跡の遺構が、市埋蔵文化財研究所の調査で見つかった。近くには上皇が創建した「三十三間堂」(蓮華王院)があるが、後に豊臣秀吉がこの付近で方広寺を整備したため、これまで法住寺殿の遺構が出土した例は少なかった。同研究所は「広大な施設の実態を知る手がかりになる」としている。 80センチ四方の柱穴跡が約4・2メートルの間隔で二つ出土し、その約2メートル東側に南北に走る幅約5・5メートルの道の跡が長さ約14メートルにわたって、確認された。周囲に建物跡が見つからないため、柱穴跡は門の遺構とみられる。平安後期のもので、同研究所は文献などから、この場所にあった法住寺殿に関連する可能性が高いと判断した。 法住寺殿は、後白河上皇が院政の拠点として造営した
2009/12/15 リンク