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マヤ文化の「都市放棄」、一般庶民がその時どうしてたのかがよくわからん という話
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マヤ文化の「都市放棄」、一般庶民がその時どうしてたのかがよくわからん という話
久し振りにマヤの本を読み返していた。 一昔前には(そう、今はもう時代遅れだ!)、マヤ・インカ・アス... 久し振りにマヤの本を読み返していた。 一昔前には(そう、今はもう時代遅れだ!)、マヤ・インカ・アステカとひとくくりにして「失われた古代文明」扱いされていたマヤだが、最近では、「マヤ文化はなくなってない、今も変化しながら生きている」「もちろんマヤ人の子孫もフツーに暮らしてる」「マヤ諸語も現役だしマヤ暦も使われてる、昔のままじゃないだけ」といった基本情報は、かなり広く知られるようになっている。ただしスペイン人がヒャッハーしにやってきた時代に人口の大半が失われ、過去の情報、ことに王や貴族など限られた階級だけが所持していた知識・伝統が、かなりの確率で失われたことは確かだ。 ただ、スペイン人がぜんぶ悪いというわけでもない。 一般庶民だって、自分たちがあまり重要だと思っていないようなことは、世代が変われば忘れてしまう。たとえば、うちのご先祖はどうやら倭寇か山賊か何かヤバめの商売をやってたらしいのだが、