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『御宿の民話.2『千人塚』(元禄地震の大津波)No 384』
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『御宿の民話.2『千人塚』(元禄地震の大津波)No 384』
No 384 御宿町に伝わる民話『千人塚』では 元禄地震津波の塚と言うような話でしたが 塚には正保3... No 384 御宿町に伝わる民話『千人塚』では 元禄地震津波の塚と言うような話でしたが 塚には正保3年の刻銘が刻まれていたとは… 元禄16年(1703年)の 地震より57年も前に この塚はあった訳です 年表によると 慶長6年(1601)から 寛永19年(1642年)までの 41年間に計5回の大地震 そして正保3年(1646年)の 大地震と津波の後 村人は亡くなった人達の供養の為 袴山(現、浅間山)に 亡骸を葬り塚を作りました ところが明暦元年(1655年) 延宝五年(1677年) 元禄16年(1703年)と 立て続けに大地震と津波の被害を受け また沢山の犠牲者が出て 千人塚は袴山から共同墓地に移動 複合供養塔とされたようです 伝説には元禄地震の千人塚と 語り継がれて来たのでしょう 慶長の時代から元禄の時代まで わずか102年 その間に幾度の大地震と津波に襲われている訳で 災害は忘れた頃に