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「俺の笑いを理解するにはセンスが必要」を中田敦彦が言うのと松本が言うのとの違い
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「俺の笑いを理解するにはセンスが必要」を中田敦彦が言うのと松本が言うのとの違い
A「私のお笑いを面白いと思うにはセンスが必要」 → だから、面白くないという人はセンスがない という... A「私のお笑いを面白いと思うにはセンスが必要」 → だから、面白くないという人はセンスがない というネットとかでよく見る詭弁なんだけど (例:「はいはい、お前は頭が悪いからわかんねーんだろうな」) A「これは前にBが言ってた言葉だ」 → だから、Aのこの発言を批判したらそれはBを批判したことになる これもネットとかでよく見る詭弁 じゃあ、その通りかと言うとそうでもない 例えば、 ・Aさんのお笑いの支持者が10人中1人 ・Bさんのお笑いの支持者が10人中9人 という状況では、ニュアンスは変わる Aさん「俺の笑いを理解できない90%の人はセンスがない」 Bさん「俺の笑いを理解できない10%の人はセンスがない」 これらはニュアンスがだいぶ違う これは量問題であって、量問題はみんな不得意な傾向があるから、この詭弁が成り立っている まあ、お前らは頭が悪いからわかんねーだろうが