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東条英機「嫌われる勇気」欠いた悲劇~名課長は名社長ならず|みがく経営|日経BizGate
仕事ができて部下に慕われ、上司の非は遠慮なく指弾する。このため何度も左遷させられるが、そのたびに... 仕事ができて部下に慕われ、上司の非は遠慮なく指弾する。このため何度も左遷させられるが、そのたびに実力で本社に戻ってライバルに「倍返し」――。人気TVドラマ「半沢直樹」のストーリーではない。東条英機元首相(陸軍大将、1884~1948年)の若き日の軌跡だ。東条が多くの犠牲者を出した太平洋戦争を開始し、軍国主義のシンボルとして批判されるべきA級戦犯であることに変わりない。しかし30~40代の東条は名連隊長、名課長として知られていた。ビジネス現場の多様化が進む令和の企業トップは、細部も把握する名課長としての手腕も要求されるという。しかし名課長必ずしも名社長ならず。卓越した中間管理職だった東条英機の限界を、埼玉大学の一ノ瀬俊也教授に聞いた。 大正デモクラシーの空気を吸った「平民派」 太平洋戦争中のよく知られるエピソードがある。1942年7月の朝4時過ぎ、東条は札幌の街で道ばたのゴミ箱から菜っ葉の切
2020/08/17 リンク