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金石範著「済州島四・三武装蜂起について」(「季刊三千里」1975年秋通巻3号より)その➀ - つれづれなるままに心痛むあれこれ
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1948年までの南朝鮮の歴史。8月15日に戦争が終ってから、8月26日に米軍が日本にやって来る。9月8日... 1948年までの南朝鮮の歴史。8月15日に戦争が終ってから、8月26日に米軍が日本にやって来る。9月8日には朝鮮の仁川に上陸する。翌9月9日ソウル入城。そして済州島へは、9月中旬に上陸する。10月には米国に亡命していた李承晩の帰国。大日本帝国政府の朝鮮統治機構であった朝鮮総督府をそのまま受け継いだ米軍は、英語を公用語として強要し、南朝鮮派遣米軍司令官ホッヂ中将の「私が日本人の統治機構を利用しているのは、それが現在最も効果的な運営方法だからだ」という言明にも明らかなように、解放軍ではなく、日本の後釜に座るためにやってきた新しい支配者としての姿を人々の前に見せ始める。そして自らの支配を合理化するために、自国から李承晩を輸入し、その階級的地盤を地主と資産家層に置いた。 これより先、8・15直後、刑務所や地下から出てきた愛国者たちによって、南朝鮮は南朝鮮なりに人民委員会が済州島の村々にまで全国至る