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『生命のフェスティバル』と海水からの塩作りへの横やり
1981年春、私は高知から上京した西隈隆則さんと会っていた。原子力発電の立地に狙われて、住民の粘... 1981年春、私は高知から上京した西隈隆則さんと会っていた。原子力発電の立地に狙われて、住民の粘り強い運動でこれを拒否した高知県窪川町で野外イベントをやりたい。協力してくれないかとのことだった。私は、25歳で当時は『80年代』という雑誌に関わり、青生舎という若い世代のアクティブな運動の場を主催していた。西隈さんは、自然保護運動の渦中にいて、安全な食べ物の供給を高知市内で取り組んでいた。西隈さんの話を聞いているうちに、脳裏に「白く大きな船」の映像が浮かんでいた。「船を出しましょう。東京から船を出して大勢で行きますよ」と次の瞬間には言っていた。 ピースボートが始まるのは83年、当時はまだ市民運動が船をチャーターした実績はない。当初、いくつかの船会社に交渉した結果、「東京→那智勝浦→高知」を定期航路で結んでいたサンフラワー号を団体予約することになる。この年の夏、窪川町で開かれた『生命のフェスティ
2008/03/26 リンク