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天皇はなぜ「王(キング)」ではなく「皇帝(エンペラー)」なのか(宇山 卓栄) @gendai_biz
天皇を「日王」と呼ぶ韓国の悲哀 遣隋使の小野妹子が遥々、海を渡り、隋の都・大興城(現在の西安)へ赴... 天皇を「日王」と呼ぶ韓国の悲哀 遣隋使の小野妹子が遥々、海を渡り、隋の都・大興城(現在の西安)へ赴きました。その時、携えていた有名な国書があります。「日出處天子致書日沒處天子無恙云云(日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を致す、恙無しや、云々)」の国書です。 この国書に対し、煬帝から返書があり、さらに、その煬帝の返書に対する返書として、日本から送られたのが、上記の「東天皇敬白西皇帝」の国書です。 日本は「倭王」という中国皇帝に臣従する諸侯という称号を拒否して、「天子」や「天皇」と明記して、国書を差し出したのです。 7世紀後半の第40代天武天皇の時代には、「天皇」の称号が一般的に使われるようになり、孫の文武天皇の時代の702年に公布された大宝律令で、「天皇」の称号の使用が法的に定められます。 ところで、韓国は天皇陛下を「日王」と呼びます。朝鮮時代には、「倭王」と呼んでいました。中国皇帝に服
2019/10/23 リンク