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天皇誕生日の戦犯訴追・処刑と日本国憲法 戦争の全責任は私にあると言った陛下に考えを変えたマッカーサー | JBpress (ジェイビープレス)
日本国憲法が「押しつけ憲法」といった議論は、時折マスメディアで触れられることがあります。しかし、... 日本国憲法が「押しつけ憲法」といった議論は、時折マスメディアで触れられることがあります。しかし、それがどういう経緯で「押しつけられ」たか、かつての周知の事実も最近はあまりメディアの表層には記されていない気がします。 1946年2月、終戦からようやく半年というタイミングでGHQ総司令官のダグラス・マッカーサーは現在の憲法の原案に相当するメモを作りました。 天皇の命と引き換え これに基づいて占領軍のコートニー・ホイットニー准将が日本政府に原案を示した際、本案をのまなければ「天皇の安全を保証できない」という留保がついたという経緯が伝えられます。 実際にどのような発言があったのかには諸説あるようですが、戦勝国のうちソ連やオーストラリア、中華民国は天皇の戦争責任を強く追及し、その一部に昭和天皇の死刑、天皇制廃止の主張があったのは間違いありません。 結果的にGHQ~マッカーサーの判断で天皇制は保持され
2016/09/08 リンク