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東日本大震災10年,東日本大震災:生島ヒロシさん 遺体見つからぬ妹の葬儀に届いた「神様からの贈り物」 | 毎日新聞
4人兄妹が育った実家の食堂には漁師たちの威勢の良い話し声が飛び交い、時折町を訪れる銀幕スターに夢中... 4人兄妹が育った実家の食堂には漁師たちの威勢の良い話し声が飛び交い、時折町を訪れる銀幕スターに夢中になった――。そんな思い出と優しい妹を津波で奪われたアナウンサー・生島ヒロシさん(69)=宮城県気仙沼市出身=を、深い悲しみから救ったものとは何だったのか。東日本大震災の発生から2021年3月で10年となるのを前に、被災地ゆかりの人たちに東北への思いやエールを語ってもらうシリーズ「メッセージ~東日本大震災10年へ」。今回は、生島さんが古里や亡くした妹・喜代美さん(当時57歳)への思いを語ります。【聞き手・構成 金森崇之】 高校まで暮らした気仙沼市の実家「伊勢浜食堂」は、いつも夜中まで漁師のお客さんでいっぱいでした。365日、正月も休まなかったですね。ラーメンは麺がやや硬め、かつおぶしと煮干しのだしが絶品でした。「伊勢浜食堂の冷やし中華を楽しみに気仙沼に来るんですよ」なんて漁師さんがいたのを覚え
2020/12/11 リンク