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今を生きる、今を書く:どこまでが自分の内側で、どこからが外側か?=町田樹 /48 | 毎日新聞
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今を生きる、今を書く:どこまでが自分の内側で、どこからが外側か?=町田樹 /48 | 毎日新聞
<「メビウスの輪」を知ってるね。内側を辿(たど)って行ったら、そこは外側だったというあれだ。君は... <「メビウスの輪」を知ってるね。内側を辿(たど)って行ったら、そこは外側だったというあれだ。君は、「自分の内側」と言った時、体や心の内側のことを思うね。でも、その内側が、外側の自然法則や快感原則によって動いているのなら、その内側って、じつは外側のことじゃないだろうか。内って、外なんじゃないだろうか。> これは哲学者の池田晶子さんが自著「14歳からの哲学――考えるための教科書」(トランスビュー、2003年、69ページ)に記した言葉である。今回はこの池田さんの言葉を手がかりに、「自己とは何か」ということについて考えてみたいと思う。 私も実は池田さんと同じことを頻繁に考えることがある。初めて自分の内外に対する認識を揺さぶられたのは、小学生の時だ。理科の授業で身体のつくりと働きについて学習していた際、私を含むクラスの生徒全員に向けて、突然先生が「胃や腸は体内ですか」と質問を投げかけてきた。 当時の