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鉄道トリビア(288) 上野発の夜行列車、1978年10月7日の夜は46本もあった
「上野発の夜行列車~」で始まる歌謡曲といえば「津軽海峡・冬景色」だ。石川さゆりさんは1977年にヒッ... 「上野発の夜行列車~」で始まる歌謡曲といえば「津軽海峡・冬景色」だ。石川さゆりさんは1977年にヒットしたこの歌でNHK紅白歌合戦に初出場。以来、通算出場回数は37回を数える。「津軽海峡・冬景色」は1982年・1993年・2000年も歌われ、2007年以降は「天城越え」と交互に歌っている。 しかし、いまや「津軽海峡・冬景色」の情景は人々の記憶の中にしかない。この歌は、上野発の夜行列車で青森に着き、青函連絡船で北海道へ渡る歌だ。青函連絡船は1988年に運行を終了している。 さて、「津軽海峡・冬景色」がヒットした時代、上野発の夜行列車は何本あっただろう? 当時、ブルートレインブーム全盛期の上野駅は、東京駅よりも夜行列車が多かった。まだ東北新幹線が開業していなかったから、在来線特急列車の全盛期が続いていた。東北本線だけではなく、常磐線経由の夜行列車も多く、ほとんどが青森駅で青函連絡船に接続した。
2017/11/27 リンク