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レディース総長は「まるで“宝塚”の花形だった」ヤンキーではない女の子が、総長に憧れていたワケ | 日刊SPA!
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こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申しま... こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申します。ティーンズロードは1989年に創刊され、90年代には社会現象に。現在は休刊となっておりますが、そんな本誌に10年以上携わっていました。 暴走行為(共同危険行為等)は決して許されるものではありませんが、時を経て、編集者として今振り返る「暴走族」の姿とは……。 当時、レディース総長たちは「芸能人」級の人気だったと言っても過言ではありません。 私が編集部員をやっていた頃(平成の初頭)、読者からの手紙やハガキなどがたくさん送られてきていました。多いときで、1日に大きめのダンボール2箱分。 今のようにスマホやSNSはありませんでした。携帯電話はデカくて重く、本当にごく一部のお金持ちの人しか持ち歩いていません。そんなアナログな時代なので、ティーンズロード編集部には「友達募集」「投稿写真」「悩みごと」等