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求めない、期待しない。性悪説でいい――キリスト教が教える対人関係の奥義
人間の本質にかかわる「信頼」について、世界の宗教はどのように扱ってきたのだろうか。宗教家への取材... 人間の本質にかかわる「信頼」について、世界の宗教はどのように扱ってきたのだろうか。宗教家への取材から、その意外な解釈が見えてきた。 キリスト教では「信じあえない」が前提 私たちは誰しも、他人から信頼されるのはすばらしいことだと思い、信頼される人間になりたいと願います。しかし聖書には、「みんなから信頼されるような人間を目指しなさい」とは、一言も書いてありません。 意外かもしれませんが、キリスト教では、「人間とはしばしば裏切るものであり、お互いに信じあえないのがあたりまえ」と考えます。仏教や神道はどちらかというと人間を性善説でとらえますが、キリスト教は性悪説です。仮にいままで一度も法律違反をしたことがない人も、生まれたばかりの赤ん坊も、すべての人間は例外なく罪を背負っているというのです。 ご存じのとおり、キリスト教では神がこの世界のすべてをつくったと考えます。もちろん人間も神がつくったものです
2015/04/27 リンク